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、ふと、昔のことを思い出す。今から30年以上も前のことだが、私は1年ずつ2回、中学校の臨任講師をしたことがあり、当然のように部活も担当させられた。が、2つの学校では部活への教員の関わりが大きく異なっていたのだ。
1つめの学校は田舎にあり、良くも悪くも「昔風」だった。そこでは教員は勤務時間後も生徒の部活を最後まで見届けることが義務づけられており、場合によっては休日(サービス残業)出勤もあった(当時はまだ週休1日であり、たまたま校務分掌による休日出勤もあったりして、1か月全く休みがなかったときも。ただし、いわゆる「夏休み」がまだ健在だったので、その埋め合わせはなされたと思っている)。他方、2つめの学校は県庁所在地にあり、部活は「ボランティア」という位置づけだった。それゆえ、部活に積極的に関わるのも、関わりは必要最小限度に抑えて日々の活動を生徒に任せきりにするのも、教員が自由に選択できたのである(そのおかげで、私は早々に帰宅して大学院の受験勉強に励むことができた)。
だが、いずれにせよ、学校に部活があることに対しては何ら疑問を抱かなかった。部活があるおかげで学校に行く意義を見出す生徒もいるはずだと思っていたのである。しかし、今は違う。学校から部活は切り離すべきだと確信している。さもなくば、ただでさえ日々の業務で忙しい学校の教員の負担があまりに大きくなりすぎるし、そのことは教育の質を下げることにも繋がるからだ。
なるほど、部活が学校教育の中でしかるべき意義を持っていた時代もあったろう。そして、今でもそうした場はあるのかもしれない。が、いろいろな問題を曖昧にしたままで善意の(あるいは不本意に関わらざるを得ない)教員の犠牲の上に部活が営まれているのだとすれば(まあ、中には部活の方が好きな教員もいるようだ――事実、昔のことだが、「吹奏楽の部活指導をしたいから教員になった」人がいるという話を耳にしたことがある――が、そうした人は授業やその他の面でも生徒への対応に力を傾注すべきだ)、一度制度設計をきちんとし直すべきであり、それができないのならば(たぶん、無理だろうから)、部活は完全に外注にすべきだろう。