昨日話題にした「ピアノ講師」の何とも旧態依然たる心性だが、それはこの国の種々の芸事の師弟関係にあったものが西洋音楽の世界でも受け継がれたものだろう(この点についてはすでに中村紘子その他が指摘している)。
だとすると、この国の西洋音楽は二重の意味で「日本化」されていることになる。1つは今述べたような心性の面で、そして、もう1つは「言語」の面で。
後者の面は必ずしも否定的にのみとらえるべきことではない(そのことは拙論「西洋音楽の日本語的演奏について ――あるいはクレオール語としての日本的西洋音楽――」https://www.jstage.jst.go.jp/article/daion/62/0/62_58/_article/-char/ja)で述べた)が、前者の面は速やかに改善を図るべきだ。これは個人任せにしていても難しかろうから、大学や高校などの音楽教育機関が率先して取り組んだ方がよい問題であろう。
今年演奏会に出かけた回数を数えてみたら、9回だった。自分が本当に聴きたいもので、(TPOなどの)聴きにいける条件が揃っていたのが、これだけしかなかった、ということである。
もう少し若い頃には、多少無理をしてでも、もっと演奏会に出かける意欲があった。が、歳を取るごとに、それも次第に減退していく。 もちろん、音楽が嫌いになったわけではない。むしろ、昔よりも今の方が格段に楽しめているくらいだ。が、その「楽しみ」の場が演奏会場ではなくなっていった、ということである。
さて、来年はどうなることであろうか。願わくば、上記の条件が揃う演奏会に1つでも多く出会えますように。やはり実演でなければ味わえない類の感動があるのは確かだから。