今日は「丸尾祐嗣 ピアノリサイタル 2024」(於:兵庫県立芸術文化センター、神戸女学院小ホール)を妻と共に聴いてきた。すばらしかった。
丸尾さんは1989年生まれの(比較的)若手ピアニスト。ちょっとしたご縁でこの人の存在を知ることとなり、演奏を聴く機会も得、「これは是非、リサイタルを聴かねば!」ということで出かけてきたのである。
演目は次の通り:
前半:ヴォカリーズOp.34-14(丸尾祐嗣編曲),前奏曲 Op.32-3, 前奏曲 Op.3-2「鐘」, エレジー Op.3-1, 絵画的練習曲 Op.39-5, 前奏曲 Op.32-9, 楽興の時 第4番 Op.16-4, 絵画的練習曲 Op.39-4, 楽興の時 第3番 Op.16-3, 絵画的練習曲 Op.39-8,
後半:前奏曲 Op.23-4, J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 BWV.1006よりプレリュード、ガヴォット、ジーグ(ラフマニノフ編曲), 前奏曲OP. 23-4,ピアノソナタ第2番 Op.36(1931年改訂版)
すなわち、「オール・ラフマニノフ・プログラム」である。
このうち前半ではなかなかに興味深い試みがなされていた。すなわち、上記のようにいくつかの曲集に収められている曲を取り出し、一繋がりの「作品」ようにして丸尾さんは演奏していたのである。このように弾かれると、知っているはずの曲であっても、何か違った風に聞こえてきて、まことに不思議な感じがした。のみならず、個々の曲をこの順序で配列することによって生み出されるドラマが朧気ながら見えるような気がしたのである。そして、こうした試みを可能ならしめる丸尾さんの力量に感嘆させられた(ただし、妻は少し異なる感想を持ったようだ。すなわち、「個々の曲の演奏は魅力的だったけれども、このようなかたちでほとんど切れ目なしで曲を続け様に聞かされると、演奏の密度が濃いだけに些か疲れる。もう少し、息抜きできる部分があったり、単純に楽しめる部分もあったりした方がよかったのではないか」と言うのである。なるほど、確かにこうした意見にも十分頷けるところはある。演奏会プログラムの組み立てというのはなかなかに難しいものである。まさにこれはドラッカーが説く「マネジメント」の領域の問題であり、演奏家各自が経験を積む中で独自のやり方を見出していくしかない)。
後半の選曲も面白い。最初のバッハ編曲を3曲そろって実演で聴ける機会はそう多くはなかろう。この難編曲を丸尾さんは実に軽やかに魅力的に奏でてみせた。そして、続く前奏曲はまさに続くソナタの「前奏」の役割を果たし、その最後の演目でこの演奏会全体の山場とカタルシスがもたらされたのである(この後半は妻も絶賛していた)。
丸尾さんの演奏は全くの自然体であり、少なからぬ演奏家にありがちな、音楽によって己の技や力量を誇示しようとする邪気が全く感じられない。ひたすら音楽に集中し、その場で何かをつかみ取りつつ、生ききと音楽を演じているように見受けられる。というわけで、今後、このすぐれたピアニストがどのような音楽を紡ぎ出していくのかに関心がもたれる。