Bärenreiterrから出ているスクリャービンのピアノ・ソナタ全集第2巻所収の第5ソナタを読んでいたときのこと。タイがあるべき箇所(第98小節の終わりの和音)につけられていなかったので、Henle版や春秋社版、そして、旧ソ連の「全集版」に基づく全音版を見てみると、そのいずれにもタイはあった。
そこで、Bärenreiterr版の註解を読んでみると、そのタイは「全集版」以前の自筆譜や初版などにはないものであって、つけるべきではない、と説かれていた。なるほど、信頼できる資料に従えば、そういうことになるのだろう。が、同様な箇所と見比べてみれば、「タイの書き落とし」と考える方が自然だ(だからこそ、「全集版」以降の初版はタイを括弧つきや点線などで補っているわけだ)。というわけで、この件に関してはBärenreiterr版の編者は資料の字面に囚われすぎて判断を誤ったのだろう。
なるほど楽譜の校訂というのは一筋縄ではいかないものだと改めて思わされるが、それだけにその「読み手」の側にも細心の注意が必要である。