2025年2月16日日曜日

今日もNHK-FM「現代の音楽」を聴く

  今朝もNHK-FMで「現代の音楽」を聴く。独奏チェロと電子音響による作品を取り上げた演奏会の録音。

最初の作品、渡辺愛《アンイマジナリー・ランドスケープ》(2012)は美しい(自然音の加工も含む)電子音響とこれまた美しいチェロの音楽が織りなす対話(元々の独奏楽器はチェロではなく、アルト・サクソフォンだったとか)。これには理屈抜きに聞き入ってしまった。ただ、もしかしたら独奏楽器が奏でる音楽の「美しさ」や「甘さ」がもっと控えめであった方が作品全体としていっそう効果的だったかもしれない。とはいえ、魅力的な作品であった。

 次の作品、リチャード・バレット(1959-)の《Blattwerk(「木の葉」「葉状装飾」の意)》(1998-2002)。いわゆる「新しい複雑性」に与する作曲家の手になるものだけに、聴くからに弾くのがたいへんそうだった(後で別の演奏者による楽譜つき動画を見て見ると、やはり……:https://www.youtube.com/watch?v=oVcB9TwJWaQ)。耳で聴いた限りでの第一印象は「1960年代の前衛の蘇り」でしかなかった(電子音楽技術の面では当時とは大きな違いがあるとはいえ)。魅力的な瞬間もそれなりにあるのだが、なぜ、世紀の変わり目になって、演奏者に難行苦行を強いてわざわざこのようなことをやるのかがよくわからないというのが私の正直な感想だ(番組の「埋め草」にそのバレットのアンコール・ピース《陰》(2010)が取り上げられていたが、こちらはもっとすっきりとしていて魅力的な曲だった(https://www.youtube.com/watch?v=olFd9TfrBr4)。まあ、楽譜を見ると、とんでもなく複雑なのかもしれないが……)。もちろん、作曲家当人はそのような複雑に書く必然性があるのだろうし、そのこと自体を非難するつもりはない。が、私個人はそうしたものにはついていけないし、ついていく気もない。

 

 この「現代の音楽」に続く番組、「名演奏ライブラリー」では往年の名歌手、エルンスト・ヘフリガーが取り上げられていた。特に何の期待もなく惰性で聴き続けていたところ、すぐにそのすばらしさに耳を奪われる。とりわけ、シューベルトの《水車屋の美しい娘》に。こうしたものを「現代の音楽」と続けて聴くと、やはり考えさせられてしまう。「音楽とは何なのか?」と。現代には現代なりの音楽表現があってしかるべきだと思うが、それを作曲家の独創性ということだけに任せておいてよいものかどうか……。