2025年2月23日日曜日

メモ(140)

  ある1つの「語り方」が強い力を持っている中にあって、自分の言葉で語るのは難しい。のみならず、その流行に自分の思考が絡め取られてしまい、自分で考え、語っているつもりのことが実はそうではなくなってしまっているということも十分ありうる(もちろん、この場合、「自分」ということが何を意味するのかということ、そして、確固たる「自分」なるものがありうるのということは慎重に考えられてしかるべきだが)。

2次大戦後、芸術音楽の世界で「前衛」が隆盛を極めたとき、第一線で活躍する作曲家の中でそれに抗って創作をしている者はほとんどいなかった(精確に言えば、そうした者はいくらよい作品がつくれても第一線に立つことを認められなかった)。「前衛にあらずんば現代の作曲家にあらず」というわけだ。だが、そんな時代が終わってみると、かつての「話題作」の少なからぬものが作曲家個人の言葉で語られたものなどではなく、流行の言葉を器用に用いただけのものであることが見えてくる。

たぶん、当時の作品の中から本当の「名作」を選び出すのはこれからの演奏家であり、聴き手なのだろう(ただし、当時の作品への関心が今後も失われないとすれば、の話だが)。もっとも、その際、もはや「個性」とか「独創性」とかいう点は評価の最重要項目ではなくなるかもしれない。

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