ところが、20歳になる年、中村(現、金澤)攝さんのところに出入りするようになり、そうした私の認識は大きく改められたのである。初対面の日、何枚かのLPを貸してくれたのだが、その中にマデルナの作品も含まれていた(ジュセッペ・シノーポリ指揮のドイツ・グラモフォン盤)。帰宅後聴いてみると、これが実に魅力的なのだ。そこで後日その感想を攝さんに述べると、「マデルナの本領はこんなものではない。もっと凄い作品がいくらでもある」と言うではないか。そして、その「凄い作品」の録音や楽譜やを次々と取り出してきて聴かせ、見せてくれたのである。すると、攝さんの言葉がどうやら正しいことが当時の私にも朧気ながらわかった。
そのとき、攝さんが聴かせてくれたのが、たとえば《セレナータ 第2番》(1956)(https://www.youtube.com/watch?v=ZW5AhDfjguw)や《コンティヌオ》(1957)(https://www.youtube.com/watch?v=EtX_SzFV-e0)だ。この何ともなまめかしく妖しい感じは確かに凄い。だが、攝さんはさらにこう言うのだ。「でも、本当の傑作中の傑作には録音がない!」と。とともに、そうした作品の楽譜もいくつか見せてくれた。ともあれ、以来、私にとってマデルナは巨匠中の巨匠である。
さて、それからおよそ30余年。今やマデルナの作品は少なからず音で聴けるようになった。そこには「本当の傑作中の傑作」もいくつか含まれている。ありがたいことである。生誕100年だからといって生誕250年のベートーヴェンのように騒がれる(騒ぎすぎだ!)ことはないかもしれないが、着実にマデルナの真価は認められつつあるようで、1ファンの私としても嬉しい限り。