2020年3月12日木曜日

ブルーノ・マデルナ

 かつて日本では「作曲家」ブルーノ・マデルナの作品に触れることは極めて難しかった。録音はほとんどなし、楽譜の入手も難しく、そもそも彼に関心を持っている人もほとんどいなかったのではないか(松下眞一は後述の《コンティヌオ》を絶賛しているが)。それが証拠に、音楽之友社から1980年前後に出ていた『名曲解説全集』で解説されていたマデルナ作品はたった1つで、しかも無伴奏フルートの小品。もちろん、悪い曲ではないのだが、他にもっとあげるべき名作がいくらでもあったはずだ。が、普通の読者にはそんなことはわからない。事実、少年時代の私もマデルナはさほど重要な人ではないのだとこの『全集』を読んで思っていた。
 ところが、20歳になる年、中村(現、金澤)攝さんのところに出入りするようになり、そうした私の認識は大きく改められたのである。初対面の日、何枚かのLPを貸してくれたのだが、その中にマデルナの作品も含まれていた(ジュセッペ・シノーポリ指揮のドイツ・グラモフォン盤)。帰宅後聴いてみると、これが実に魅力的なのだ。そこで後日その感想を攝さんに述べると、「マデルナの本領はこんなものではない。もっと凄い作品がいくらでもある」と言うではないか。そして、その「凄い作品」の録音や楽譜やを次々と取り出してきて聴かせ、見せてくれたのである。すると、攝さんの言葉がどうやら正しいことが当時の私にも朧気ながらわかった。
 そのとき、攝さんが聴かせてくれたのが、たとえば《セレナータ 第2番》(1956)(https://www.youtube.com/watch?v=ZW5AhDfjguw)や《コンティヌオ》(1957)(https://www.youtube.com/watch?v=EtX_SzFV-e0)だ。この何ともなまめかしく妖しい感じは確かに凄い。だが、攝さんはさらにこう言うのだ。「でも、本当の傑作中の傑作には録音がない!」と。とともに、そうした作品の楽譜もいくつか見せてくれた。ともあれ、以来、私にとってマデルナは巨匠中の巨匠である。
 さて、それからおよそ30余年。今やマデルナの作品は少なからず音で聴けるようになった。そこには「本当の傑作中の傑作」もいくつか含まれている。ありがたいことである。生誕100年だからといって生誕250年のベートーヴェンのように騒がれる(騒ぎすぎだ!)ことはないかもしれないが、着実にマデルナの真価は認められつつあるようで、1ファンの私としても嬉しい限り。