こうした「媒介者」はさまざまな流派の人と音楽を受け入れるものだから、自身の作品にもそのことがどうしても反映されてしまう。つまり、彼らの作風はよくいえば柔軟で多様性に富む、逆に悪く言えば折衷的でつかみどころがないわけだ。それゆえ、「独創性」を何よりも重んじた芸術の世界ではブゾーニ、カゼッラ、マデルナらの作品は決して無視されることはなかったものの、同世代の見るからに個性的な作曲家の作品に比べて今ひとつ評価が低かった。
が、今やそうした「独創性」重視(信仰!?)の時代も終わりを迎えつつあり、さればこそイタリアの「媒介者」たちの真価が正当に評価されるときが来たと言えよう。そして、彼らの仕事を肯定的に批判することから何かが生まれるかもしれない。
カゼッラの名曲を1つご紹介。それはピアノ曲《シンフォニア、アリオーソとトッカータ》(1936)。何とも感動的な元気の出る音楽だ。これを初めて金澤(当時は中村)攝さんの演奏で譜めくりしながら聴いたときの感動は忘れられない:https://www.youtube.com/watch?v=exZWQwG8v-0(楽譜:https://imslp.org/wiki/Sinfonia%2C_Arioso_e_Toccata%2C_Op.59_(Casella%2C_Alfredo))。