拙著『演奏行為論』(春秋社、2018年)は書名通り、西洋芸術音楽の「演奏」を中心に行為の様態を描き出し、その実践の可能性を探ったものである。このところぼんやりと考えているのは、同様なことを「作曲」と「聴取」をそれぞれ中心に据えていわば複眼的に、そしてさらにはそうした「西洋芸術音楽」ゲームを他の人間社会で営まれている諸ゲームとも絡めて論じることができないだろうか、ということだ。それは決して「理論のための理論」ではなく(物事を理論的にすっきり「説明」する(だけの)ことには私は全く関心がない)、「実践のためのささやかな提案」たらんとするものだ。
私の最大の関心は「音楽によって(も)各人が自分なりによりよく生きること」である。そして、そうした可能性を音楽から、そして、その音楽に(多種多様な局面や水準で)関わる人同士のコミュニケーションのありようから探り出し、具体的な提案を行うことが最大の目標である。あまりに大きすぎる目標かもしれないが、その端緒は『演奏行為論』で示したつもりだ。残りの人生でこれをさらにどこまで先へ進めることができるかどうかわからないが、とにかく生きている限りはこの課題に取り組み続けたい。