その「自分の本」だが、出版のあては今のところない。完成させてからどこかに売り込んでみるつもりだ。題名は(以前、ここで述べたように)『音楽の語り方』。音楽をめぐる言語コミュニケーションの問題について西洋芸術音楽を例に平易に(ややこしい註も抜きで)論じるものだ。
まだ目次はできていないが、出だしは決まっている。それはあるジャズ・ドラマーのエピソードをめぐるものだ。そこだけあげると、
自他共に認める偉大なドラマーがいた。が、ある人から「あんたは偉大なドラマー
だ」と言われたとき、すかさずこう言い返す。「お前はそんな判断をくだせるほど優
秀じゃないだろ?」。すると、言われた方は些か当惑しつつも「えーと、おれはあん
たのプレイを楽しんだよ」と切り返した。そこでこのドラマーはこう応じる。「それ
なら言ってもいい」(『ハービー・ハンコック自伝――新しいジャズの可能性を追う
旅』、ディスクユニオン、二〇一五年、八二頁を参照)。
もしかしたら、このドラマー(マイルズ・デイヴィスのバンドに弱冠一七歳で抜擢 された天才、トニー・ウィリアムズ)のことを高慢な人だと思う人もいるかもしれな い。自分への好意ある言葉をにべもなくはねつけているのだから。が、よく考えてみ れば、このドラマーの言うことは基本的には正しい(その理由はのちほど説明す る)。
この「正しさ」を確認し、そこを起点として音楽をめぐる豊かで実りある言語コ ミュニケーションの可能性を探るのが本書の課題である。[……]
というふうになる(予定)。
これだけでは大きな誤解を招きかねない文章かもしれない。それは何も「エリート主義」を標榜するものではなく、拙著『演奏行為論』(春秋社)で述べたコミュニケーションの考え方をさらに展開しようとするものだ。終点は見えているので、後は目次を立てて書くだけである。