それゆえ、「時の試練に耐えて残ったものが名曲なのだ」とは簡単には言えまい。今現在演奏されている作品よりも質の高いものが何らかの理由で埋もれてしまった可能性は十分にあるのだから。
幸い現在ではそうした「埋もれた作品」にかなりアクセスしやすくなっている。そして、実際にそうした作品に触れてみると、従来の「名曲」も違って見えてくる。名曲の名曲たる所以が改めてわかることもあれば、逆に名曲の看板に偽り(というのが言い過ぎだとすれば、誇張)ありだとわかることもある。
ただ、いずれにせよ、お決まりの「名曲」にしか触れていないと、そうしたことはわからない。その点、聴き手はかなり貪欲で、未知の作品との出会いを実際に(あるいは潜在的に)求めている。では、演奏家はどうだろうか? もちろん、中には意欲的なプログラムに取り組んでいる者も少なくないが、大勢としてはまだまだ「(お決まりの)名曲志向」は弱くはないようだ。しかし、果たしてそれでいつまで聴き手がついてきてくれるだろうか。ここは思案のしどころである。