2020年3月14日土曜日

「演奏とコンクール」

 クラシック音楽の世界で「コンクール」というものが意味を持った時代があった。が、今やその頃とは時代の状況も変わり、音楽活動のありようも大きく変わりつつある。
そうしたことを考える上で1つのヒントを与えてくれるのが、金澤攝さんがピティナ(一般社団法人全日本ピアノ指導者協会)のホームページで連載している「演奏とコンクール」という文章だ(https://enc.piano.or.jp/persons/1260)。攝さん個人の体験を土台としながらも、題名通りに「演奏」や「コンクール」というもののあり方についての鋭い考察が繰り広げられたとても興味深い読み物である(ところが、まことに残念なことにこの連載は止まっている。攝さんはすでに原稿を送っているのに、先方の都合で掲載されないのだという。さて、これはいったいどうしたことであろうか。もちろん、掲載の可否を決める権利はピティナ側にあるのだろうが、少なくとも事情を読者に対して公にすべきであろう。この連載は画期的なことだと私は思っていたので、この「休止」は些か残念である)。
物事には必ず始まりと終わりがある。いつまでも続くものなどあるはずもない(オリンピックもそうだ。クーベルタンが現在のものを見たら「こんなものは止めてしまえ!」と言うのではないか?)。コンクールとて同じこと。ならば、いつまでもそれにしがみつくことなく、イノヴェーションを図るのが賢明というものだろう。そして、それは何もコンクールに限ったことではない。もちろん、守るべき伝統はある。が、捨てるべきものを捨ててイノヴェーションができばければ、その先に待ち構えているのは衰退・滅亡である(それは人間の活動一般について言えることだろう)。