2020年3月16日月曜日

演奏家を中心に作曲家との関係を見ると……

 音楽史を見ると作曲家が名演奏家に触発されて作品を書いた例はそれこそ枚挙に暇がない。が、音楽史記述ではそれは得てして作曲家にとっての1エピソードに留まっていることが多いようだ。
そこで、逆に名演奏家の方を記述の中心に据えてみたらどうだろうか? 彼(女)らがどんな作曲家からどの作品を捧げられ、逆に作曲家にどんな影響を与えたのかを「人物(+作品)相関図」のようにしてまとめると面白いのではなかろうか。すると、これまで見えていなかったあれこれの繋がりや影響関係が見えてくるだろうし、「作曲家中心」の音楽史記述もいくらか補正することができよう。
作曲家が作品を献呈した(他の作曲家や演奏家に限らない、すべての)人物との関係に注目するのも面白かろう。数名の作曲家を取り上げるだけでも、ある時代や場所の「音楽人間模様」が描き出せるはずだ。

 難しいことを言うのが好きな人、あるいは、難しい言葉をありがたがる人というのは、「何でもわかりやすく言い表せると思ったら大間違いだ。どうしてもそのような表現をとらざるをえない事柄もある」と言うだろう。
なるほど、そうした物言い自体にはとくに反論すべきことはない。その通りだと私も思う。が、それには留保がつく。つまり、「あくまでも難しさが必然性を持つ場合に限る」ということだ。そして、そのようにして改めて世の「難しい」文章を見てみると、少なからぬものがそうした「必然性」を満たしていないように思える(私自身には難解な文章を書く趣味はない。が、結果として難しくなっていることはあるかもしれない。気をつけよう)。