2020年3月27日金曜日

聞こえないコントラバス

 ベートーヴェンの交響曲のコントラバス・パートはいろいろとかなり難しいことをやっているのに、全体の中に埋没してしまって聞き取れないことがしばしばある。たとえば、第5交響曲終楽章提示部の終わりの楽句では大活躍している(これがまた実にかっこいい)のに、上声部の大音響に消されてしまい、「なにやらたいへんそうだなあ」くらいのことしかわからない。あるいは、第9交響曲終楽章の二重フーガではそれこそとんでもなく難しい動きを課されているのに、何やらもごもごしているようにしか聞こえない。
 楽譜を見れば、そうした低音がしかるべき音楽上の意味を担っていることははっきりわかる。ならば、それを何とか「聞こえる」かたちにしたらどうなるだろう? 実演でも何らかの拡声装置を使えばそうした低音の音を聞かせることはできようが、それよりもマルチ・トラックの録音を編集する方が自然な仕上がりにすることができるはずだ。ともあれ、それまでに聴いたことのないような音像が現出するに違いない。
 すると、「それは邪道だ。なぜならば、作曲者はそんな響きを想定していなかっただろうからだ」と言われるかもしれない。確かに。だが、楽譜が指し示す音楽のかたちはそうした可能性を決して排除するものではない。また、ある作品の一番の理解者が作者だという保証もない。本人が気づいていなかったいろいろな可能性を第三者が見出すということはいくらでもあるわけだ。だとすると、ベートーヴェンの交響曲の録音を加工・編集することも決して禁じ手ではあるまい。そもそも普通の録音にしたところで多少は「補正」されていて、実際の生の音とは違うのだから……。というわけで、この道での偉大な先人グレン・グールドの理念を大胆に実践してみる音楽家と録音技師の登場を期待したい(なお、ここでベートーヴェンの名をあげたのは、あくまでも一例としてであるにすぎない)。

 今回のウイルス禍のようなものに遭遇すると、ふとこう思ってしまう。「もしかして、今、人類は何かを試されているのではないか?」と。