コンスタンティン・シチェルバコフ(1963-)の演奏によるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集のCDが出るとか。彼は一流のピアニストであり、これまでにいろいろ興味深いディスクを発表している(昨年もリストのリャプノフの《超絶技巧エチュード集》全曲を収めたCDを出しているが、これは是非とも聴いてみたいと思っている)。が、それほどのピアニストであっても、今、ベートーヴェンのソナタ全集の録音を世に送ることに果たしてどれだけの意味があるのか、正直、私には疑問だ(なお、ここではシチェルバコフの名をあげたが、別に彼個人をあげつらいたいわけではなく、あくまでも1つの例にすぎない)。
私はこのシチェルバコフの実演を聴いたことがあり、そのときの演目にはベートーヴェンのソナタも入っていたが、実に「立派な」演奏だった。が、その都度1回限りの演奏会ならばともかく、「モノ」としてずっと残るディスクに録音を留めるからには、「立派な」演奏というだけではやはり弱いのではないか(以前、そのことをやはり優れたピアニストであるルイ・ロルティのソナタ全集録音を聴いて感じた。とても「立派な」演奏なのだが、今ではほとんど聴き返すことはない)。音楽性と類い希な演奏技巧を兼ね備えたシチェルバコフにふさわしい(つまり、彼の「強み」を存分に発揮できる)演目は他にもいくらでもあるのだから、そうしたものをこそ録音に取り上げて欲しいと思うのは私だけではあるまい。
もちろん、「ベートーヴェンのピアノ・ソナタの全集録音」というのが少なからぬピアニストにとっては野心をかき立てる大きな達成目標としてあるのはわかる。が、聴き手の側からすれば、これまでに十分に「名録音」の蓄積があるわけで、それまでになかった「何か」を示すような演奏録音でなければ、なかなか手が伸びるものではない。そして、同じことは今日「名曲」として盛んに取り上げられている作品について、そして、多くの演奏家についても言える。そして、それは個々の演奏家の能力と資質が十分に「所を得ていない」という意味で、演奏家本人にとっても聴き手にとってもまことに「もったいない」ことだと思う。