自分が初等・中等教育で教えられた知識の少なからぬ部分はもはや役に立たないものとなっている。自然科学と歴史の分野ではどんどん内容が上書きされていっているからだ。もちろん、そうした知識が実生活に活かされることはほとんどないので、あまり実害がないとは言えるが、それでも気が向いたときに、その欠を補うことにしている。
これまでにもっとも驚いたのは旧ソ連の崩壊だ。中学1年生のときにソ連の体制について社会科で学び、その頃、たまたま図書室で手にしたソルジェニーツィンの『収容所群島』を読み、「まあ、何とも嫌な国だなあ」と感じながらも、まさかその体制が早々にひっくりかえるなどとは夢にも思わなかった。その翌年、小室直樹の『ソビエト帝国の崩壊』を読み、その論にはそれなりに説得されつつも、それでもあの「帝国」が遠からず「崩壊」するなどとはとても信じられなかったのである。ところが、その11年後、まさにその「信じられない」ことが起こったから、これには本当に驚いた。以来、「この世の中では何でも起こりうる」と思うようになり(まあ、これには自分が生まれ育った環境も少なからず影響しているが……)、自分の知識・信念体系を時折ヴァージョン・アップする必要性を肝に銘じた次第。
ところで、そうした「ヴァージョン・アップ」を職業柄欠かせないのが学校の教員だろう。初等・中等教育の場合、学習指導要領の改訂があって教育内容が変わっていくが、それに(だけではなく、種々の社会情勢の変化にも)対応するには教員もそれなりに勉強する必要がある。ところが、今や学校はブラックな職場と課し、教員はつまらない用事で忙殺されているようだ。が、これは「学校教育」(ということは、その直接の受益者たる「児童・生徒」そして、間接の受益者たる「社会」)にとって大きな損失である。教員にもっと時間のゆとりを与えて、肉体的・精神的な苦役から少しでも解放し、教員自身のヴァージョン・アップを助けるような体制づくりが早急に望まれるところだ。
私が高校生の頃に学んだ「生物」では、もちろんDNAやRNAの名は登場してはいても、ゲノムはまだだった(はずだ)。そして、ミトコンドリアの遺伝子が母親からしか伝わらないことも(ということを最近、ある本を読んで知り、驚いた。そこで改めて調べてみると、確かにそうだった:https://www.brh.co.jp/publication/journal/085/research/2.html)……。さて、そうだとすると、「万世一系」などということが(仮に)成立するとすれば、それは「男系」ではなく「女系」においてだということになる。「血統」を守るとか称して「男子直系」を厳守すべしとの主張は少なくとも生物学的に何ら根拠がないわけだ。なるほど、特定の文化やイデオロギーの表れだと見るならば、そうした主張の存在は理解できなくはないが……。