2020年10月28日水曜日

作曲家はどの季節を選ぶのか?

  武満徹には《秋》と《冬》という管弦楽曲(前者は《ノヴェンバー・ステップス》と同じく尺八と琵琶を独奏とする二重協奏曲)がある。「春」と「夏」がないのは(「四季」という打楽器曲はあるものの……)、武満の音楽の雰囲気からすればいかにもとうなずけるところだ。別宮貞雄には「春」と「夏」と銘打たれた交響曲が2曲あり、「秋」と題したチェロ協奏曲もあるが、「冬」はない。これも別宮の作風や音楽の志向からすれば、やはり「なるほど」と思う。他にも四季にちなむ曲を書いている作曲家はそれなりにいるだろうが、そこでどの季節を選んでいるかを調べたら面白かろう。たぶん、その人の作風と何かしら相関があるのではないだろうか。

 私が四季絡みの曲を新たに(と言うのも、すでに〈冬の夜〉というピアノ曲を昔書いているからだが……)書くとすれば、何よりも「春」を選びたい。一年のうちでもっとも好ましい早春を念頭に置き、冬が開けて春を迎える喜びを(器楽で)うたいあげるだろう。そして、次は「秋」だ。「冬」も書くかもしれないが、私にとって受難の季節たる「夏」はありえない。