(比較的)都会に住んでいても、地方で暮らしていた頃の発想や感覚が自分からはなかなか抜けきらない。それどころか、いつもこんなふうに考えてしまうのだ――「自分が今でも地方に暮らしているとして(まあ、東京に比べれば、現在の住まいも十分に「地方」なので、これは決してたんなる仮定ではない)、(都会ならばいくらでも聴けるような)特別な演奏会などはめったになく、気軽に都会に聴きに行けるような時間も金銭的余裕もないとすれば、その地域の限られた音楽資源をどう有効に活用して音楽生活を充実させられるだろうか?」と(なお、昨日話題にしたことは、まさにその一つの例だ)。
こうした感覚は都会にしか住んだことがなく、かつ、容易に種々のイヴェントや情報にアクセスできてきた人(言い換えれば、大きな文化資本の所有者)にはなかなかピンとこないかもしれない。だが、文化の「地域格差」という問題が実際にあるのは間違いなく(たとえば、次のものを参照:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353?imp=0)、この点を完全に度外視して音楽文化、音楽生活を考え、論じることは少なくとも私にはできない(もちろん、これは私個人の感覚であって、一般化するつもりはない)。
しかし、こうしたことは「考え」ているだけではダメで、やはり何かしら自分なりに「動いて」みなければいけないとの思いをこのところますます強めている(コロナであまり動けないことの反動か?)。まあ、「動く」といっても、大したことではなく、自分の身近なところで人との関わりの中で音楽生活を少しでも充実させたい、ということにすぎない。さて、今の自分に何ができるだろうか。