恐ろしく複雑なリズム(音価)を平気で紙に書き付けてきた(ある種の)「現代音楽」の作曲家たち。自分で演奏するのならばまだしも、それは概ね人任せ。演奏を任された者は四苦八苦することになり、しかも、聴き手にはその苦労はほとんど伝わらない。馬鹿馬鹿しくなって演奏家がそうした作品を遠ざけるのは至極当然。
実際の演奏可能性や演奏効果、聴取可能性などといった観点から20世紀以降の「現代音楽」の「リズム書法」を精査する――「使える」ものと「使えないもの」を仕分け、また、まだ工夫の余地のあるものを探る――ことは、現在の創作にとって有意義だろう。ほとんど壊れてしまった普通の演奏家や聴き手との関係を回復する上でも。