1人のピアニストによるスクリャービンのピアノ・ソナタ全曲のディスクが初めて世に出たのは1970年代初めのことで、作曲者から没後半世紀以上を経てのことである。当時、まだまだスクリャービンはマイナーな存在であり、それだけにその「ソナタ全曲録音」は「意欲的な」企画だったろうし、好奇心を持った一部の聴き手の注目を集めたに違いない。
ほぼ同時期に何人かのピアニストがその偉業に挑戦しているが、面白いことにいずれもロシア(当時はソ連)人ではない。作品番号なしの2曲も含めて完全な全集を仕上げたロベルト・シドン(1941-2011)はブラジル出身のドイツで活動した人だし、ジョン・オグドン(1937-89)は英国人、マイケル・ポンティ(1937-)は米国人だ。
そのうちのシドンの録音を久しぶりに聴いてみた(オグドンとポンティのCDは以前に手放してしまった。いずれもあまり好きな演奏ではなかったからだ)。今やスクリャービンのソナタ全曲録音は珍しくなく、優れた演奏もいくつかあるが、それらに比べても十分遜色のない見事な演奏である。さほど「お手本」のなかった頃にこれだけの演奏解釈をつくりあげるのはたいへんだったろう。このシドンの録音はスクリャービンの演奏史・受容史に特筆されるべき偉業だと言ってよかろう(ちなみに、シドンは1970年前後にいろいろと面白い録音をドイツ・グラモフォンであれこれ行っているが、一般にはあまり受けなかったからだろうか、独奏者としての録音がそれ以降続かなかった。残念! 今年は彼の没後10年にあたるので、メーカーは生産中止のCD――スクリャービンも含む――をまとめて復活させて欲しいところだが……)。