2021年5月22日土曜日

歌詞の発音と音楽の表現

 英語や独語の文では通常「内容語」(名詞、動詞、形容詞、副詞、数詞など)は強く、「機能語」(冠詞、代名詞、前置詞、接続詞、助動詞など)は弱く発音され、緩急とリズムが生み出される(日本語にはそうしたことはなく(もちろん、意図的に何かを強調するために強く発音される語はあるにしても)、概ね等速で平板に発音される)。

 シューベルトの《冬の旅》第1曲〈おやすみ〉の出だしを例にとろう。‘Fremd bin ich eingezogen, fremd zieh’ ich wieder aus,’という歌詞で、網掛け部分が内容語(赤字はアクセントが置かれるところ)である(次の演奏を聴かれたい:https://www.youtube.com/watch?v=eTWPsP3YTUU)。そして、この後に同じ旋律で次の歌詞が歌われる:‘Der Mai war mir gewogen mit manchem Blumenstrauss. 歌われる音は全く同じなのに、アクセントがつく位置が異なる箇所があるわけだ。そして、それは当然歌い方にも反映される(たとえば、節の始めの‘Fremd bin’と‘Der Mai’のところをよく聴き比べられたい)。こうした「言葉のリズム」はドイツ語を母語とする者にとっては考えるまでもなく自然なものであり、歌い手はその上に旋律の音を乗せていっているのだろう。

 では、日本人がドイツ歌曲(に限らず、外国語の曲)を歌う場合はどうか? よほどその言葉の発音の仕組みを心得た者でない限りは、たぶん、「旋律の音」が先にあって、そこに歌詞を当てはめていっているのではないだろうか(少なくとも私が学生時代にドイツ歌曲――やイタリア歌曲、あるいはラテン語の合唱曲――を練習し、歌っていたときはそうだったし、歌の先生からも語学面での指導を受けたことはなかった)。しかも、その際には微妙な「言葉のリズム」は大なり小なり犠牲にされる(どころか、そもそもさほど意識されていない)ことに。その結果として、ドイツ語(やその他の外国語)の話者が聞くと「どこか変な」ものになってしまうわけだ。

 もっとも、その「変な」ところは普通の日本の聴き手には精確にはわからない(かく言う私もまた。学生などが歌うのを聴くと、理由はうまく説明できないながらも時折「おや?」と感じることはあるにしても)。それゆえ、この国の中でのみ歌っている分には問題は顕在化しないだろうし、それならばこれはこれでかまわないのかもしれない(とりわけ、アマチュアの場合には。年末に第九を楽しんでいるアマチュア合唱団に「発音と歌い方がどこか変だ」などと言うのはまことに野暮なことでしかあるまい)。が、問題の所在はプロの音楽家や教育者ならば把握しておくべきことではあろう(「そんなことは当たり前ではないか。今更何を言っているんだ」と言われるかもしれない。が、まことに恥ずかしながら私は近年に至るまでこうした問題に気づきさえしなかった)。