2021年5月25日火曜日

メモ(57)

  外国語の習得にあたっては「母語の干渉」を自覚し、それを取り除くことが欠かせない――このことはすでにその道の専門家がいろいろと指摘しているが、同じことは外国の音楽についても言えるはずだ。なぜならば、音楽は言語と密接に結びついているからだ。

その意味で、日本語を母語とする者の西洋音楽は「日本(語)化」でされている(さらにいえば、欧米人とは異なる物の考え方や感じ方も音楽表現には影響しているはずで、その意味でも「日本化」されているといえよう)。

とはいえ、(これまでもここで何度か話題にしたように)私はそうした「日本化」を必ずしも否定的・消極的にのみとらえるべきだとは思わない。英語を日本語式に発音すれば全く通じないが、西洋音楽の場合には必ずしもそうではないようだからだ(……と思いたいが、実のところどうなのだろう?)。そして、ある程度「通じる」のならば、それは日本なりの「特色」だということになろうから。だが、それでも果たして「日本化」された音楽がどの程度、そして、どのように「通じる」ものなのかはこのあたりで一度詳しく検証されてしかるべきであろう。