同じ作品でも譜面(ふづら)で随分印象が違って見える。すっと音が頭に入ってくる――たんに「読みやすい」だけではなく、音楽の息づかいを生々しく伝えてくれるような――ものもあれば、逆にまことに読みづらい――あまり「音楽的」ではなく、何かの図表に見えるような――ものもある(この問題については、岩城宏之『楽譜の風景』(岩波新書、1983年)がいろいろな角度から論じていて面白い)。前者のような譜面を見ると、それをつくり出した人の見事な職人芸とセンスに尊敬の念をいだかずにはいられない(そうした「職人芸」のありようについては研究の価値があると思う)。
昨今、コストの都合からだろうが、コンピュータの楽譜浄書ソフトを用いて浄書した楽譜が増えている。いずれも「きれいに」できているが、それを見て「音楽的」だと感じることがあまりない。なぜだろう? これは私個人の感覚(趣味)の問題なのか、それとも、何かもっと一般的な理由があるのだろうか? 他の人はどう感じているのだろうか、大いに興味がある(なお、私はコンピュータを用いること自体を否定するものではない。が、まだまだソフト自体とその使い手の両者にまだまだ技術革新の必要があるのではないかと思う。まあ、これは今後に期待しよう)。