2024年10月31日木曜日

久しぶりにショスタコーヴィチの交響曲を

  ロジェストヴェンスキー本でショスタコーヴィチ「についての」証言を読み、久しぶりに彼の交響曲をすべて聴きたくなった。ファンではないものの、いちおう全集のCD(ルドルフ・バルシャイ指揮、WDR交響楽団)は1組、スコアも8曲持ってはいるのだ。

というわけで、さっそく第1番(1925)から。その完成度の高さには改めて驚かされたが、それ以上に音楽のみずみずしさと筆致の伸びやかさに心惹かれる。とともに、ついこう考えてもしまう。つまり、「もし、旧ソ連の体制がもう少し自由を許容するようなものであったとしたら、ショスタコーヴィチはかなりタイプの異なる作曲家になっていたかもしれないなあ」と。もちろん、こんなことを考えても無意味なのは重々承知している。が、第1交響曲にはそんな空想へと聴き手を導くものがあるように私には思われた。

続く第2番(1927)は当時としては紛う方なく「前衛」音楽である。初演の際、聴衆はどう感じたのだろうか? 難解に感じた者は少なくなかったことだろう。が、中には感激を持って聴いた人もいたのではなかろうか。というのも、この曲での前衛的な手法は決してとってつけたようなものではなく、音楽の内容として必然性を持っている(ように少なくとも私には感じられる)からだ。そして、こうしたものを聴くと、やはり「もし……」といらぬ空想に耽ってしまう。

ショスタコーヴィチの交響曲は全部で15曲なので、これから13曲聴くことになる(そのすべての感想をここで述べることはしないが)。まあ、中にはあまり好きではない曲もあるのだが、今聴いてみたら違ったふうに聞こえるかもしれない。楽しみなことである。

2024年10月30日水曜日

メモ(125)

  恐ろしく耳のよい作曲家(たとえば、ショスタコーヴィチ――ロジェストヴェンスキー本にはそのことを証す驚嘆すべきエピソードがいくつかあげられている――やブゥレーズのような人)が書いた作品の中には普通の人には聞き取れない音が少なからずある。すると、作曲者本人が聞き取っている作品の姿と普通の人のそれとは自ずと違ってこざるをえない。だとすれば、名目上は「同じ」作品ではあっても、実質的に両者にとってそれは「異なる」作品だとも考えられる。

 付言しておけば、作曲者が聞こえるものが作品の「正しい」姿で、それを普通の人が聴き逃しているのだということではない。どちらも正しいのである(「正しい」という言い方はあまりよくないが……)。

2024年10月29日火曜日

秋の次は冬

  昨日は武満徹の《秋》を話題にした。彼には《冬》(1971)という曲もあるが、私はこちらの方を好む(https://www.youtube.com/watch?v=sUmlucOq1E0)。だが、これも今日ではあまり演奏されていないのではないか(録音も1種類しかない)。

よい曲ではあるが、たぶん、作曲者本人は「さて、これからどうしたものか」とあれこれ思案していたのではなかろうか。70年代の武満の作風は私には過渡期のものに聞こえる。

80年代に入ると、武満の作風は格段に「安定」してしまう。そして、その中で精緻さが求められていった。が、この時期からの武満の作品を私は好まない。とはいえ、時折、聴き直してはみる。もしかして、何か好ましいところが見つかるかもしれないから。やはり、私は武満の音楽が好きなのだ。

2024年10月28日月曜日

秋には《秋》を

  ようやく秋の気配が感じられてきた。すると、秋に因む曲が聴きたくなる。というわけで、今日は久しぶりに武満徹の《秋》を(https://www.youtube.com/watch?v=cWPucSiLVuk)。

あの有名な《ノヴェンバー・ステップス》(1967)と同じ編成――すなわち、管弦楽、琵琶と尺八――によるものだが、こちらの方はあまり演奏される機会はないようだ。たぶん、この《秋》の方が《ノヴェンバー・ステップス》よりも魅力に欠けるからなのだろう。

もっとも、その《ノヴェンバー・ステップス》にしても、管弦楽と邦楽器の組み合わせはうまくいっておらず、聴いていると、「管弦楽か邦楽器かどちらか一方だけならば、いいのになあ」と思わされる場面が実に多い。

にもかかわらず、なぜか、時折、《ノヴェンバー・ステップス》を、そして、ごく稀には《秋》をも聴いてみたくなるのは、やはり武満の音楽への愛のゆえか?

2024年10月27日日曜日

《悲愴的変奏曲》

  シューマンの《交響的エチュード集》作品13(初版1837)はのちに改訂されて《変奏曲形式によるエチュード集》(1852)として出版されている。そして、今日ではこの2つの版が出版されている。いずれも正式に出版されたものだから、どちらを選ぶかは演奏者次第だろう(実際のところ、両者を混ぜ合わせたかたちでの演奏が多いようだ。これはクララ・シューマンとブラームスが編集した『シューマン全集』に収められた版の影響であろう)。

さて、この《交響的エチュード集》にはもう1つ前の稿がある。元々は《悲愴的変奏曲》という題名が考えられていたが、結局《幻想曲集とフィナーレ》とされたものである。私がその存在を知ったのはHenle版の『シューマン ピアノ曲全集』の序文によってだが、楽譜自体がそこに収められているわけではなかったので、「ふーん、そんなものがあったのか」くらいにしか思わなかった。

ところが、現在Schottから刊行中のシューマン新全集にはこの《幻想曲集とフィナーレ》も附録として収められている(ことを最近知った。大学の図書館にはまだこの巻が入っていなかったので気づくのが遅れたのだ)。楽譜は未見だが、先に話題にしたフローリアーン・ウーリヒもこの原稿を録音しており、それをYouTubeで聴いたところ、出版されたものといろいろ違いがあって面白かった。

もっとも、シューマン本人にとってはこうした出版以前の稿を持ち出してこられるのは不本意かもしれない。作品のできに不満があればこそ書き換えたに違いないからだ。しかしながら「死人に口なし」。人々の好奇心の前には作曲家のauthor's rightも押し切られてしまう。もっとも、その「好奇心」の背後には尊敬の念があるのだろうから、シューマン先生の霊には引き続き安らかにお眠りいただきたいところだ。 


今日は衆院選の投票日。相変わらず投票率の低いのが気になる。確かにこの国には問題点は多くある(し、一度問題にされてもすぐに水に流されてしまう)ものの、若者には希望を捨てないで欲しいと思う。1回の選挙で何かが大きく変わる可能性は低いものの、とにかく投票に行かないことには何もはじまらない。

 

2024年10月26日土曜日

ギオマール・ノヴァエス

  「なじかは知らねど」急にギオマール・ノヴァエス(1895-1979)の演奏が聴きたくなって、手持ちのCDを取り出してきた。すると、もう、「どうにも止まらない」。どれもこれもすばらしく、次から次へと聴き惚れてしまう。ブラジル人の彼女がパリ音楽院の「留学生枠」の試験に臨んだとき、ドビュッシーは絶賛したというが、さもありなん。

たとえば、シューマンの《交響的エチュード集》作品13などはどうだろう(https://www.youtube.com/watch?v=G14MBrfSqoM)。こうしたものを聴くと、昨今の演奏は(もちろん、すべてがというわけではなく、中にはすばらしいものがあるにしても、傾向としては)どれもこれも実に味気なく感じられる。いったい、何が違うのだろうか。才能の違いもあろうが、たぶん、それ以上に音楽を取り巻く環境が大きく変わってしまい、その結果として演奏のありようも違ったものになってしまった、ということなのだろう。もちろん、これはたんに「昔はよかったなあ」という話ではないし、現代は現代なりの表現様式というものがあるわけだが、それはそれとして、私はこのノヴァエスの演奏に大いに心惹かれてしまう。

 

明日場衆院選の投票日。それで何かが急に大きく変わることはないにしても、だからといって貴重な権利を放棄する人が少しでも減ることを祈りたい。

2024年10月25日金曜日

音楽でもあり、騒音でもある

  最近、近所の公園で早朝からオカリナを吹きまくる人物が出現した(そこに到るにはいくつかのステップがあるのだが、それは略す)。困ったことにこの楽器の音は実に遠くまで(公園から少しだけ離れた拙宅にも)聞こえる。つまり、やかましいのだ。当人や周りにいる人たちにとって、それは楽しい音楽なのであろう。が、私(だけではないだろうが……)にとっては騒音以外の何ものでもない(し、早朝からそんな音を出す無神経さに腹が立つ)。さて、いったいどうしたものか……。

2024年10月24日木曜日

とにかく面白いロジェストヴェンスキー本

  昨日話題にしたロジェストヴェンスキー本だが、とにかく面白い。彼の本業たる指揮について、(とりわけ、直接つきあいのあった)作曲家や演奏家について、そして、旧ソ連という体制下における悲喜こもごもの体験について、実に率直に、かつ、(しばしばブラックな)ユーモアを込めて語られているのだから。これはいずれ自分も購わねばなるまい。

同書から気になるフレーズを抜き出すときりがなくなるので、ここでは指揮に関して1つだけあげておこう。曰く、指揮とは「大体において、生まれながらの適性に恵まれている人にしか、絶対に何一つ教えることができない特殊分野なのだ」(同書、245頁。書誌情報は昨日の記事を参照のこと)。

2024年10月23日水曜日

ブリュノ・モンサンジョン『指揮棒の魔術師 ロジェストヴェンスキーの証言』

  セルの伝記に続いて(図書館から借りて)読んでいる(音楽関連の)本はブリュノ・モンサンジョン『指揮棒の魔術師 ロジェストヴェンスキーの証言』(船越清佳・訳、音楽之友社、2024年:https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?id=203830)。こちらはあの旧ソ連を生き抜いた巨匠の証言だけに、まことに刺激的である。読み進めるにつれて「そんなことがあったのか?」という驚きと、「まあ、あの国ならば、そんなことがあっても不思議じゃないなあ」という思いが交錯する。これは必ずしも指揮者に関心がない人が読んでも十分楽しめるはずだ(なお、同書の原題はLes Bémols de Staline, Conversations avec Guennadi Rojdestbensky。「ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとの対話」という部分はともかく、「スターリンのフラット記号」というのは、それだけを見た者にとっては「?」な題名であろう。だが、本分を読めば、「なるほど!」と納得すること必定。「訳者あとがき」でこの巧みな原題に触れられていなかったのはちょっと残念。もっとも、訳文はとても読みやすく、訳註も親切で、とてもよい翻訳だと思う)。

ちなみに、私が所持しているロジェストヴェンスキーのCDはただ1つ。彼の妻であるピアニスト、ヴィクトリア・ポストニコワの『チャイコフスキー ピアノ曲全集』に収められた連弾用の民謡編曲がそれだ(つまり、ここでは指揮者としてではなく、ピアニストとして彼は参加しているわけだ)。もっとも、これはロジェストヴェンスキーに私が無関心だからではない。もっといろいろ聴きたいと思っているのだ。が、優先順員順位の問題で、なかなかそうはなっていないというのが実情である。とはいえ、件の本を読んだ今となっては彼の優先順位はかなり上がったので、これからいろいろ聴くことになるだろう。

このところ指揮者関連の本を読んでいるのは、森本恭正さんとのメイルのやり取りが影響しているのかもしれない。そこでの話題の1つが「指揮(者)論」であり、作曲家であるとともに指揮者でもある森本さんの体験談と考察は無類に面白いからだ。これはメイルのやりとりだけで済ますにはまことにもったいない。いずれ、「指揮(者)論」を森本さんが公にしてくれることを大いに期待したい。

2024年10月22日火曜日

ジョージ・セルの伝記を読了

  先に話題にしたジョージ・セルの伝記を読了した。それは1つの時代――指揮者が強大な権力を持ち、それゆえにこそじっくり演奏をつくりあげられた時代――の記録である。もちろん、何もかもがそろっている時代などありえない。今と比べて当時の方がよかったこともあれば、逆に悪かったこともあろう。というわけで、楽しく読みながらもいろいろと考えさせられた。いずれ再読することもあろう(なお、同書にはいろいろ誤記があったが、再版の機会があれば訂正されることを望みたい。たとえば、人名ではポーランドの作曲家ベルトが「バイルド」と表記されていたり、評論家のショーンバーグが場所によっては「シェーンベルク」と書かれていたりした。だが、それよりも気になったのは、作品の調性の誤記である。長調と短調が逆になっていたり、全く違う調性が記されていたりしたが、厳格で鳴らしたセルの伝記だけにこれはいただけない)。

その伝記を読む傍らで、手持ちのセルとクリーヴランド管弦楽団コンビのCDもいろいろ聴いてみた。いや、実に見事な音楽づくりである。それはまことに精密、かつ、緻密なものなのだが、決してつくりものめいてはおらず、音楽の流れは自然で生き生きとしているのだ。実のところ私個人としてはもう少し緩い、あるいは自由な感じの演奏の方が好きなのだが、それにもかかわらず、彼らの演奏に一定の説得力を感じずにはいられない。

2024年10月21日月曜日

何と奇妙奇天烈な曲

  昔々、シューマンの《フモレスケ》作品201839)をはじめて聴いたとき、「何と奇妙奇天烈な曲だろう」と思った。そして、その思いは長らく続く。が、あるとき、「なるほど、そういうことか!」と(自分なりに)得心する瞬間が訪れた。この曲に明快な論理性や整合性を求めてもいけないし、さりとて支離滅裂だと思ってもいけない。その間で繰り広げられる戯れが面白いと気づいたのである。以来、大好きな曲となり、現在に到る。

私にとってシューマンの作品にはまだこうした「謎」を持つものがいろいろある。《ノヴェレッテ集》作品211839)もその1つだ。どうにもよくわからなかったのである。とはいえ、最近、少しはわかるような気がしてきた。つまり、この曲集も《フモレスケ》と同じ類のものなのだと。それにもかかわらず、《クライスレリアーナ》作品161838)(同じ8曲セットであり、限られた調性にしぼって書かれている点も同じ作品)とつい比べてしまうのがいけなかったのである。両者の性格は大きく異なるのだから。

たぶん、《ノヴェレッテ集》のことをとっつきにくい作品だと感じているのは私だけではなかろう。演奏会や録音では《クライスレリアーナ》の方が断然人気が高く、《ノヴェレッテ集》全8曲が取り上げられることは極めて少ないからだ。が、そんな作品であればこそ、ピアニストにとっては人と「違い」を見せる上で格好の演目だと言えよう。近場で実演が聴けるのならば、喜んで出かけたい。

 

 昨日は衆院選の期日前投票に行ってきた。 今回は投票率が上がりますように。

2024年10月20日日曜日

物事の良し悪しと好き嫌いは別次元の事柄

  物事の良し悪しと好き嫌いは別次元の事柄である。たとえば、ある作品なり演奏なりが優れたものであったとしても、それを嫌う人がいてもおかしくはない。もちろん。その逆の組み合わせもあろう。

 今朝、FMのある番組で英国の名歌手キャスリーン・フェリアー(1912-53)が取り上げられていた。伝説の歌手なので名前は当然知っていたが、私はこれまでこの人の録音を聴いたことがなく、興味を持って番組に耳を傾けた。なるほど、確かにすばらしい歌手だということはすぐにわかる。が、その声質があまり好きなものではなかったのだ。残念。

 歌手に話を限れば、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)なども私にとっては同類に部類に属する。何度聴いてもその声質が好きになれないのだ。とはいえ、彼の音楽づくりは「立派」なので、ごく稀にだが聴くことがあり、何かしら学ぶところがある。

 それゆえ、フェリアーについてもまた別の機会に聴くことがあるだろう。また、もしかしたら、その声質も好きになれるときがくるかもしれない。

 

 その番組の1つ前は「現代の音楽の時間」。「第34回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会」が取り上げられていたが、こちらは全く私の心の琴線に触れなかった。残念。まあ、これもあくまでも私個人の好みの問題にすぎない。ともあれ、いつか心から感動できる「現代の音楽」作品との出会いがありますように。

 それにしても、この作曲賞は間口が狭すぎるのではないか? いわゆる「現代音楽(=前衛音楽)」のみを対象にするのではなく(そもそも、賞の名にある芥川也寸志は必ずしも前衛的な作風ではなかった)、もっと幅広くさまざまな作風を受け入れる方が「現代の音楽」創造に貢献しうるものとなるだろうに。

2024年10月19日土曜日

メモ(124)

  今でこそ日本人の体格はかなりよくなったが、昔には西洋人と比べればかなり貧弱(という言い方はあまりよくないかもしれないが……)だったことは否めまい。そして、おそらく、そのことは西洋音楽の演奏においても少なからず影響を及ぼしていたはずだ。

 体格の違いゆえに、西洋人には難なくできることが、日本人には難しいということもあったろう。すると、その差を埋めるべく、バレーボールで「回転レシーヴ」を編み出したごとくに、日本独自の工夫があれこれとなされたに違いない。

 だが、その「工夫」は「差を埋める」に留まらず、同時にオリジナルの音楽のありようとは良くも悪くも何か違ったものをも生み出してしまったのかもしれない。

 このような視点から日本の演奏家教育や演奏の実際の歴史を振り返ってみると、いろいろと面白いことが見えてくるのではなかろうか。

2024年10月18日金曜日

甘かった

   一月近く前に「ようやく長い夏も終わり」と題した文を綴ったが、甘かった! その後、少しは涼しくなりはしたものの、暑さはなかなか去ってくれない。私はとにかく暑いのが大の苦手なので、ほとほと困り果てている。たぶん、こうした「夏」はこれからも再来するに違いない。嫌だなあ。

私が初めてクーラーを購ったのは大阪に来て2年目の夏のこと(大震災の年である)。それまではどこで暮らそうと、扇風機だけで凌ぐことができていた(寒いのは全然平気なので、暖房も炬燵しか使っていないし、それも必ずしも必要だったわけではない)。また、また、クーラー導入後も今ほど暑くはなかったのに、その後、あれよあれよという間に夏は「地獄の季節」(ちなみに、ランボーの有名な詩集は「地獄での一季節」と訳すべきだとの意見があるが、納得である)となってしまったのである。

そして、こんな暑い季節にはいかに好きな音楽であっても、面倒になってしまった。例年ならばギターや現代音楽で何とか凌げたのに、今年はそうはいかなかった。となると、これまでとは根本的に異なる夏の過ごし方を考えないわけにはいかない。では来年は? そんな恐ろしいこと、今から考えたくもない……。

 

大学から借りてきたジョージ・セルの伝記を読んでいる(https://www.choeisha.com/pub/books/59323.html)。淡々と事実を記した本で刺激には欠けるものの、これはこれで面白い。もう少し涼しくなったら手持ちのCDボックスをゆっくり聴き直してみたい。

2024年10月17日木曜日

あの人は今?

  時折、「あの人は今?」と、以前好んで聴いていた作曲家や演奏家の現在が気になる。今日、手持ちのCDでスクリャービンのエチュードを聴いたが、その演奏者が今どうしているのだろうか、とふと気になったのである。

そのピアニストはマリア・レットベリ(Maria Lettberg, 1970-。スウェーデン人でベルリン在住:http://www.lettberg.com/en/biography.html)。先に「手持ちのCD」云々と述べたが、私がこのレットベリの名を知ったのは、その『スクリャービン 作品番号付きピアノ独奏曲全集』(http://www.lettberg.com/en/recordings.html)によってである。2007年発売だから、今から17年前のことになるが、もはやそんなに時が経ったのかと驚いた。

このCDセットの評価は人によりまちまちだ(かなり厳しい評も目にしたことがある)が、私は好んで聴いてきた。なるほど、このレットベリは世界を股にかけて活躍するような人ではないかもしれないが、私にとっては楽しめるピアニストである。

とはいえ、彼女が近年、どのような活動をしているかまでは知らなかった。そこで調べてみると、次の動画が見つかった:https://www.youtube.com/watch?v=fsIt48cOtPM。北欧ものを集めたプログラムで、まことに心安らぐ(作品、演奏ともに)音楽である。こうしたものを聴くと、やはりレットベリというピアニストのこれからにも関心を持たないわけにはいかない。

2024年10月16日水曜日

アンリ・ビュッセル『パリと共に70年 作曲家ビュッセル回想録』

  今日、大学の図書館で「へー、こんなものが出たのか」という本を見つけた。それはアンリ・ビュッセル『パリと共に70 作曲家ビュッセル回想録』(岸純信・監訳、八千代出版、2024年。https://www.yachiyo-net.co.jp/archives/books/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%A8%E5%85%B1%E3%81%AB70%E5%B9%B4-%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E5%9B%9E%E6%83%B3%E9%8C%B2)。ビュッセルは1872年生まれで101歳まで長生きしたフランスの作曲家である。その作品は今や埋もれてしまっており、今やドビュッシーのピアノ連弾のための《小組曲》を管弦楽用に編曲者として彼の名を知る人がほとんどだろう。

そんなビュッセルだが、近・現代のフランス音楽史の貴重な証人としては貴重な存在であり、邦訳が出る意義は十分にあると思われる。というわけで、興味のある人は手にとってみられるとよかろう。

ところで、同訳書の監訳者が述べている通り、このビュッセル本は過去に一度翻訳されている。それは池内友次郎によるものなのだが、抄訳だった(1966年、音楽之友社刊。書名は些か異なる)。とはいえ、実のところこの池内編訳の意義は本文というよりも、むしろ、その間に挟まれた註釈にある。いや、「註釈」という言い方は正しくない。それはフランスで学んだ池内の手になる「フランス(パリ)音楽(作曲界、そして、音楽院)事情」を述べた随筆なのだ。が、これがまことに面白い。こちらは版が途絶えて久しいが図書館や古書で読めるはずなので、やはり興味のある人には一読をお勧めしたい。

2024年10月15日火曜日

凡人には見えないものが……

  「天才」の属性の1つとして「凡人には見えないものが見え、感じられないものが感じられ、それを具現化できる」ということがあげられよう。この意味で八村義夫(1938-85)は紛う方なき天才であろう。そのことは何よりもまず彼の作品から強く感じられることだが、凡人には奇矯に見える言行からもうかがえることだ。

八村はピアノを愛した作曲家だが、「毎日朝から晩までピアノを弾いてる」こともあったとか。では、そのとき何を「弾いて」いたのか? 驚くべきことに『ハノン』だというのだ。八村曰く、「ありゃ名曲だぜ」(池辺晋一郎『空を見てますか… 1』、新日本出版社、2003年、85頁)。そのとき彼は凡人には聞こえない何かをそこに聴き、感じ取れない何かを感じ取っていたに違いない。そして、それはもしかしたら作品に活かされたのかもしれない。

今年は夏が異様に長かったので、彼岸花も割と最近まで咲いていた。毎年、この妖しい美しさを持つ花を見るたびに、八村の名曲《彼岸花の幻想》(1969)(https://www.youtube.com/watch?v=unLdShaqBtM)が思い起こされる。まさに「天才」にしか書けない作品であろう。

ところで、八村は寡作家で、公表された作品は20曲に満たない。それほどまでに、1つひとつの音を徹底的に吟味していたということか。彼は松本民之助の弟子で、基礎は「松本作曲教室」でたたき込まれたようだ。その結果、たんに書くだけならば、実に短時間で曲を仕上げることができたという(坂本龍一もそうだったとか)。だが、もちろん、そのようにして書ける曲など彼にとってはどうでもよく、その先にあるものを求めて己の身を削るようにして作品を書き上げていったわけだ。

それゆえ、そんな八村の作品を聴くと、私は良くも悪くも圧倒されてしまう。「良くも」というのは作品のすばらしさに感動するからであり、「悪くも」というのは聴いていてしんどくなるからだ。だから、滅多に聴くことはない。が、これからも聴き続けることだろう。

2024年10月14日月曜日

浦田健次郎も昨年に亡くなっていた

  作曲家の浦田健次郎も昨年に亡くなっていたことを今日知った。1941年生まれだから82歳(になる年)だったことになる。氏の曲はほとんど知らない(というのも、簡単にアクセスできる音源もなければ、出版譜もほとんどないからだ)が、吹奏楽コンクールの課題曲として書かれた《マーチ・オーパス・ワン》(1984)はすてきな曲(https://www.youtube.com/watch?v=jaCgSowbgfA)であり、交響曲(1981)もそれなりに面白い曲だったと記憶している。

 その浦田へのインタヴューでは、「作曲」というものについてなかなか含蓄のあることが述べられている(http://salida1.web.fc2.com/uratakenjirointabyuichi.html)。

2024年10月13日日曜日

今日も

  今日も團伊玖磨の交響曲を聴いたが、昨日とほぼ変わらぬことを第5番と第6番でも感じる。面白いといえば面白いのだが、音楽の「濃さ」に些か疲れを覚えもした。まあ、一度に何曲も聴いたのがいけないのかもしれない。1曲ずつ、それなりに間を空けて、しかもこちらの体調もきちんと整えて臨まないと團の交響曲には太刀打ちできない。

さて、その「疲れ」をとるべく(?)、日本の他の作曲家が書いた交響曲を聴いた。それは池辺晋一郎(1943-)の第1番(1967)だ。作曲者の初期の作品だ(メシアンの影響がかなり強いい)が、構成が巧みで、音楽の山場は効果的なところに置かれている(逆に言えば、よけいなエネルギーの消費がない)。それゆえ、聴いていて概ねリラックスできるわけで、当初の目的は無事に達成されたと言えよう。

 ところで、交響曲という曲種はある時期までの日本の作曲家にとってはやはり特別の重みを持つものだったろう。その歴史を本場西洋との「ズレ」(というのも、日本で交響曲の創作が軌道に乗った頃には本場ではもはやこの曲種は下火となっていたからだ)をも視野に入れつつ論じたら面白いものになるはずだ。誰か若い人が挑戦してくれないかなあ。

2024年10月12日土曜日

團伊玖磨の交響曲を聴く

  今日はなぜか團伊玖磨(1924-2001)の交響曲が聴きたくなり、全6曲中の第4番までを聴いた。……と書いてから、今年が團の生誕100年だったことを思い出す。ということは、「なぜか」ではなく、しかるべき意味があったわけだ。

手持ちのCD2009年にTOWER RECORDSが出した再発売盤で、初出は1980年代終わり頃だ(当時、学部学生だった私はレコード店でそれを目にし、「ああ、こんなものが出たのか」と思ったが、キビシイ財政事情のゆえ――アルバイトと奨学金、それに親からの1万円の仕送り、計1ヶ月6万円ほどで生活していた――、一瞥したきりだった)。時折、思い出したように楽しく聴いていたが、とくに何かが気になることはなかった(し、実演でも第1番と第6番を聴いたときにもそうだった)。

ところが、今日聴いたときには驚いた。音楽のあまりの「濃さ」にである。全体的に情緒纏綿かつ朗々と旋律が歌われ、しかも山場の連続なのだ。これはどうも、西洋の「交響曲」とは違うものだと思わないわけにはいかなかった(一例として、第2番を:https://www.youtube.com/watch?v=Klq8hbPG1vk)。とともに、そこが面白いのだとも思った(ただし、こうした團の交響曲を聴くには体調が万全でないといけない。さもなくば、音楽の力に押しつぶされてしまうからだ)。

ところで、團は日本最初の「交響曲作家」たる諸井三郎(1903-77)にも学んでいるのだが、同門の矢代秋雄の場合とは異なり、あまり影響は感じられない。それはもしかしたら團が「声楽」指向・思考あるのに対し、諸井が「器楽」指向・思考であるからかもしれない。その諸井の交響曲全5曲のうち、録音があるのは3曲のみ(世評(?)とは異なり、第4番が一番よいと私は思っている)。全曲録音の登場が待ち望まれる。

2024年10月11日金曜日

手持ちのMTTのディスク

  昨日マイケル・ティルソン・トーマス(1944-。以下、「MTT」)のことを話題にしたが、実のところ私は彼の熱心な聴き手ではなかった。最初に購ったディスクはLP時代のもので、ドイツ・グラモフォンの輸入盤だった。そこにアイヴズの《ニューイングランドの3つの場所》が収められており、それが目当てだったのだ(B面は同じ米国のカール・ラッグルズの《太陽を踏む者》だったが、これには当時は馴染めなかった)。そして、LPをもう1枚。それもやはりアイヴズで交響曲第2番だった。

CD時代になると、MTTのディスクは私の視界から消えた。が、これまでに3組のディスクを手に入れて聴いている。やはりいずれも米国の作曲家のもので、アイヴズの交響曲全集、ガーシュウィンの作品集、そして、ラッグルズの作品全集(といっても、たったの2枚組。彼は長生きした割にはほとんど作品を書いていないからだ)。これですべてである。それ以外の米国以外の作曲家の作品をMTTの指揮で積極的に聴こうとは思わなかったのである。

それだけに、件のCDボックスの多彩な収録曲を見て俄に興味をかき立てられたのだが、他に聴きたいものや読みたいものがいろいろあるので、これは興味だけに終わりそうだ(コープランドやガーシュウィンのディスクだけ別売りしてくれないかなあ)。

 

2024年10月10日木曜日

MTTの80歳記念CDボックス

  HMVのショップ・サイトを覗くのが私の日課の1つ。昔に比べて買い物をすることはごく稀になってしまったが、どんなディスクが出ているかに興味があるのだ。このところ、気になるCDボックスがやたらに出てきて困るのだが、眼福(と言ってよいものかどうか……)で満足することにしている。

 じきに出る予定のものとして、次のCDボックスはなかなかの壮観だ:https://www.hmv.co.jp/artist_Box-Set-Classical_000000000088040/item_%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%EF%BC%8F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E3%80%81CBS%E3%80%81RCA%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BA%EF%BC%8880CD%EF%BC%89_15352027

米国の指揮者、マイケル・ティルソン・トーマス(MTT)の80歳を記念してのものだとか。私がクラシック音楽を聴き始めた頃にはまだまだ中堅の一歩手前くらいの人だったのに……。それだけ月日が経ったということだ。MTTも(そして、もちろん私も)年老いたわけである。

 さて、そのCDボックスにMTTが寄せている言葉(上記リンク先を参照)の中でも、次の一節が目に留まる。曰く、「私がこれだけ幅広いレパートリーを録音することができた特別な時代の記録だ」。そう、まさにMTTがこれらのディスクを録音した時代はクラシック音楽業界に輝きと勢いがあった頃なのである。もちろん、今はそうではない。MTTが「特別な時代の記録」と言うのもむべなるかな。

その時代を知る人ならば、MTTの言葉、そして、このCDボックスに郷愁の念を覚えるかもしれないし、あるいは複雑な想いに襲われるかもしれない。では、今世紀に生まれ育ち、クラシック音楽の好んで聴く(ごく少数の)若者たちはどうなのだろう? 最初からこうしたものは目に入らないだろうか? それとも、自分の知らない時代の記録として興味を抱くだろうか?

2024年10月9日水曜日

メモ(123)

   私たちは母語を学ぼうと思って学んだわけではない。気がついたらそれが身についていたはずだ。これは音楽についても言えることだろう。物心つく頃には自分が育った環境の中にあった音楽の様式をある程度は身につけてしまっている。そして、それは意識されざる前提として人のその後の音楽とのつきあい方に大きく影響する(母語がそうであるように)。

そうした人が異なる様式の音楽を知る際にもその「前提」は陰に日向に影響を及ぼすだろう。単純に「聴けばわかる」などということはあり得まい。外国語を習得しようとする際に「口に出して話す」ことと「聴く」ことが不可分であるように、音楽の場合も(上手い下手は別としても、ある程度は)その様式に適う仕方で歌ったり、奏でたりできるようにならなければ、「聴く」ことは自分が母語のごとくに身につけた音楽様式への変換を伴わずにはおかない。

だとすると、「音(音楽)そのもの」なるものの存在はかなりのところ怪しいと考えざるを得ない。……が、これはあくまでもゲームの「外」からの視点。「内」から見れば、「音(音楽)そのもの」は実在すると考えて差し支えない。どちらか一方の視点が正しく、他方が誤っているということなのではない。が、無条件に「音(音楽)そのもの」の存在を認めるのみならず、それを絶対視するとすれば、いろいろな難儀な問題が生じることになろう。

2024年10月8日火曜日

メモ(122)

  音楽体験において「言葉」は「音(あるいは音楽)そのもの」を聴くことを邪魔するものなのだろうか? 

 そもそも「音(音楽)そのもの」なるものがあるのだろうか? あるとすれば、それはどのようなものなのか? ないとすれば、人が「音に基づく何か」としての音楽において行っていることはどのようなことなのか?

 

2024年10月7日月曜日

ブリトゥンの《ジョン・ダウランドによる夜曲》

  昨日あげたブリトゥンの作品は同じ英国の大先達ジョン・ダウランド(1563-1620)の歌曲に基づくものだが、今日は同様な作品をもう1つご紹介。それは独奏ギターのための《ジョン・ダウランドによる夜曲 Nocturnal after John Dowland》作品701963)だ(https://www.youtube.com/watch?v=W5ZAGvyOSn8)。元ネタは《来たれ、深き眠りよ Come Heavy Sleepe》で、曲の最後に原型が示されるまで、これが自由に変容させられている。たぶん、この曲はダウランドの原曲同様、いつまでも弾き継がれるだろう。

2024年10月6日日曜日

ベンジャミン・ブリトゥンの音楽を楽しく聴く

   今日、 NHK-FMの「現代の音楽」でベンジャミン・ブリトゥン(1913-76)の音楽が取り上げられていた。「現代音楽」華やかなりし頃の昔々の同番組では考えられない内容だが、今や「現代音楽」を包含する「現代の音楽」の時代だというわけだろう。ともあれ、とても楽しく聴いた。

私が初めて聴いたブリトゥンの作品は《青少年のための管弦楽入門》作品341946)だった(中学校の音楽の授業でのことだった)が、思えばこれがよくなかった。もちろん、この作品も名曲ではあるが、彼の作品の中ではベストだというわけではない。まして、まだ判断力もさほどない少年時代だったから、この曲でブリトゥンについて誤解してしまったのである。

しかも、その後私は重度の「現代音楽」病気に罹ってしまったので、ますますブリトゥンの音楽は視界から遠ざかった。彼よりも同年生まれのヴィトルト・ルトスワフスキや、前年生まれのジョン・ケィジの音楽の方に目を奪われてしまったのである。

だが、その「病」も癒えると、ルトスワフスキやケィジと同じようにブリトゥンの音楽も楽しめるようになったし、そのすごさもわかるようになった。

そんなブリトゥンの名曲の1つを:https://www.youtube.com/watch?v=ZdCLWiCSWTs


 

2024年10月5日土曜日

鶴見俊輔『アメリカ哲学』

  私はプラグマティズムの支持者だが、なぜかこれまで鶴見俊輔の名著だとされる『アメリカ哲学』(1950、増補新版は1971)を読む機会を得なかった。たぶん、「古い本」だという意識が自分の中にあり、知らずしらずのうちに先送りにしていたのだろう。とはいえ、ずっと気にはなっていたので、先日、ようやく現物(『鶴見俊輔集1――アメリカ哲学』、筑摩書房、1991)を手に入れて読み始めた。やはり名著である。のみならず、その核心部分は少しも古びていないように思われた。

何よりも心を打たれたのは、そこで書かれている言葉、そして、説かれている考えが実によくこなれていることだ。難解なチャールズ・サンダース・パースの思想とその背景なども、若き日の鶴見の手にかかると「生きた」言葉(たとえば、普通は「可謬主義」と訳されるfallibilismという語に「マチガイ主義」とびっくりするような訳語が当てられているのだが、その説明が単純明快であるだけではなく味わいもあるもの)となって読み手に語りかけてくる(ので、私はこれまでウィリアム・ジェイムズの思想の方に心惹かれていたのに、「パースももっと読まねば!」と思わされた)。そして、それが何とも爽快な読書感をもたらしてくれるとともに、読み手の思考も十分に刺激してくれる。というわけで、続きを読むのが楽しみだ。

2024年10月4日金曜日

『永冨正之 課題集――和声・フーガ・ソナタ』

  今年7月に音楽之友社から出た『永冨正之 課題集――和声・フーガ・ソナタ』(https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?id=102260)の現物をようやく見ることができた。永冨の和声課題とフーガ主題とそれぞれの実施例、そして「学習」ソナタの主題が掲載されており、門下生たちによる詳細な解説も付けられている。書名にある実技を学び、身につけようとする人たちにはまことに有益な書だと思われる。私もいずれ購いたい。

ところで、その書ではいわゆる「藝大和声(島岡)」方式の記号が用いられていた。ちなみに、永冨は池内友次郎門下かつフランスで学んだ人であり、彼の門下生たちもその流儀を受け継いでおり、フランス留学者も多い。そして、今の藝大では藝大式記号はフランス式記号に取って代わられている。にもかかわらず、同書でわざわざ前者の記号が用いられていることに私は少なからぬ興味を覚える。

フランス式記号にせよ藝大式記号にせよ、長所もあれば短所もある。どちらか一方が決定的に悪いとか不便だとかいうことはなかろう。だが、作曲以外の演奏や音楽学、あるいは音楽教育の学生、のみならず、作曲の学生にとってさえ、機能調性を学ぶには藝大式記号の方が格段にわかりやすいのは確かである。そして、同書の監修者たちもそのことがわかっているから、藝大式記号を用いたのではなかろうか? ともあれ、この問題は一度きちんと論じられてしかるべきだと思う。どちらか一方の記号を悪者扱いするのではなく、それぞれの「使えるところ」をうまく活かす道を探るために。

2024年10月3日木曜日

ネコのムル君の人生観

  昨日、書店でE. T. A. ホフマンの『牡猫ムルの人生観 Lebensansichten des Katers Murr』の新訳が光文社古典新訳文庫で出ているのを見つけた(https://www.kotensinyaku.jp/books/book399/)。これはうれしい驚きだ。

この小説にはすでにいくつかの邦訳があるのだが、すでに絶版であったり、オンデマンドで高価だったりするなどして、ちょっと手に取りにくい状態が続いていた(私は古書で購った)。それゆえ、この新訳は歓迎されることだろう。しかも、11月には東京創元社からも同小説の新訳が出るとのこと(http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488016906)。これはたんなる偶然か、それとも、こうした小説を今の時代が求めているのか?

ところで、光文社版の書名は『ネコのムル君の人生観』となっているが、そこには「新訳」の意気込みが感じられる。そのうち、是非とも読み比べてみたいものだ。

2024年10月2日水曜日

できないものはできない

  私が学生に対して(たまには胸の内で思うことがあっても)決して言わないフレーズがある――「なぜ、そんなことができないんだ?」。できないものはできないのであって、それに「なぜ?」とわざわざ言うのは言葉の暴力だから(さらに言えば、私自身、できないことだらけなので)。

 なお、「できない」のには教え方が悪いということもあろう。「できない」にもいろいろと段階というものがあり、順序を踏めばできるようになることもある。それゆえ、学生にいきなり高度な要求をしてはいけないわけだ。とはいえ、少しばかり高い課題を与えた方が学生のやる気が出るというころもある。結局、これは相手次第であり、かく言う私自身、そのさじ加減には苦心しているのだが、果たしてどの程度うまくいっているのか心許ない。

2024年10月1日火曜日

「テクストを下敷きにしたピアノ曲」たる歌曲

  シューマンの歌曲について「『テクストを下敷きにした(あるいはテクストをかぶせた)ピアノ作品』という言葉が似つかわしい場合さえ多い」(アルンフリート・エードラー『シューマンとその時代』、山崎大郎・訳、西村書店、2020年、303頁)という評を読んだとき、「なるほど!」と思った。それは良くも悪くももはやたんなる「歌」ではないわけだ。面白いものである。そして、それは20世紀の、とりわけある種の「現代音楽」の歌曲に繋がる点であろう。