ロジェストヴェンスキー本でショスタコーヴィチ「についての」証言を読み、久しぶりに彼の交響曲をすべて聴きたくなった。ファンではないものの、いちおう全集のCD(ルドルフ・バルシャイ指揮、WDR交響楽団)は1組、スコアも8曲持ってはいるのだ。
というわけで、さっそく第1番(1925)から。その完成度の高さには改めて驚かされたが、それ以上に音楽のみずみずしさと筆致の伸びやかさに心惹かれる。とともに、ついこう考えてもしまう。つまり、「もし、旧ソ連の体制がもう少し自由を許容するようなものであったとしたら、ショスタコーヴィチはかなりタイプの異なる作曲家になっていたかもしれないなあ」と。もちろん、こんなことを考えても無意味なのは重々承知している。が、第1交響曲にはそんな空想へと聴き手を導くものがあるように私には思われた。
続く第2番(1927)は当時としては紛う方なく「前衛」音楽である。初演の際、聴衆はどう感じたのだろうか? 難解に感じた者は少なくなかったことだろう。が、中には感激を持って聴いた人もいたのではなかろうか。というのも、この曲での前衛的な手法は決してとってつけたようなものではなく、音楽の内容として必然性を持っている(ように少なくとも私には感じられる)からだ。そして、こうしたものを聴くと、やはり「もし……」といらぬ空想に耽ってしまう。
ショスタコーヴィチの交響曲は全部で15曲なので、これから13曲聴くことになる(そのすべての感想をここで述べることはしないが)。まあ、中にはあまり好きではない曲もあるのだが、今聴いてみたら違ったふうに聞こえるかもしれない。楽しみなことである。