シューマンの《交響的エチュード集》作品13(初版1837)はのちに改訂されて《変奏曲形式によるエチュード集》(1852)として出版されている。そして、今日ではこの2つの版が出版されている。いずれも正式に出版されたものだから、どちらを選ぶかは演奏者次第だろう(実際のところ、両者を混ぜ合わせたかたちでの演奏が多いようだ。これはクララ・シューマンとブラームスが編集した『シューマン全集』に収められた版の影響であろう)。
さて、この《交響的エチュード集》にはもう1つ前の稿がある。元々は《悲愴的変奏曲》という題名が考えられていたが、結局《幻想曲集とフィナーレ》とされたものである。私がその存在を知ったのはHenle版の『シューマン ピアノ曲全集』の序文によってだが、楽譜自体がそこに収められているわけではなかったので、「ふーん、そんなものがあったのか」くらいにしか思わなかった。
ところが、現在Schottから刊行中のシューマン新全集にはこの《幻想曲集とフィナーレ》も附録として収められている(ことを最近知った。大学の図書館にはまだこの巻が入っていなかったので気づくのが遅れたのだ)。楽譜は未見だが、先に話題にしたフローリアーン・ウーリヒもこの原稿を録音しており、それをYouTubeで聴いたところ、出版されたものといろいろ違いがあって面白かった。
もっとも、シューマン本人にとってはこうした出版以前の稿を持ち出してこられるのは不本意かもしれない。作品のできに不満があればこそ書き換えたに違いないからだ。しかしながら「死人に口なし」。人々の好奇心の前には作曲家のauthor's rightも押し切られてしまう。もっとも、その「好奇心」の背後には尊敬の念があるのだろうから、シューマン先生の霊には引き続き安らかにお眠りいただきたいところだ。
今日は衆院選の投票日。相変わらず投票率の低いのが気になる。確かにこの国には問題点は多くある(し、一度問題にされてもすぐに水に流されてしまう)ものの、若者には希望を捨てないで欲しいと思う。1回の選挙で何かが大きく変わる可能性は低いものの、とにかく投票に行かないことには何もはじまらない。