2024年10月8日火曜日

メモ(122)

  音楽体験において「言葉」は「音(あるいは音楽)そのもの」を聴くことを邪魔するものなのだろうか? 

 そもそも「音(音楽)そのもの」なるものがあるのだろうか? あるとすれば、それはどのようなものなのか? ないとすれば、人が「音に基づく何か」としての音楽において行っていることはどのようなことなのか?