2024年10月12日土曜日

團伊玖磨の交響曲を聴く

  今日はなぜか團伊玖磨(1924-2001)の交響曲が聴きたくなり、全6曲中の第4番までを聴いた。……と書いてから、今年が團の生誕100年だったことを思い出す。ということは、「なぜか」ではなく、しかるべき意味があったわけだ。

手持ちのCD2009年にTOWER RECORDSが出した再発売盤で、初出は1980年代終わり頃だ(当時、学部学生だった私はレコード店でそれを目にし、「ああ、こんなものが出たのか」と思ったが、キビシイ財政事情のゆえ――アルバイトと奨学金、それに親からの1万円の仕送り、計1ヶ月6万円ほどで生活していた――、一瞥したきりだった)。時折、思い出したように楽しく聴いていたが、とくに何かが気になることはなかった(し、実演でも第1番と第6番を聴いたときにもそうだった)。

ところが、今日聴いたときには驚いた。音楽のあまりの「濃さ」にである。全体的に情緒纏綿かつ朗々と旋律が歌われ、しかも山場の連続なのだ。これはどうも、西洋の「交響曲」とは違うものだと思わないわけにはいかなかった(一例として、第2番を:https://www.youtube.com/watch?v=Klq8hbPG1vk)。とともに、そこが面白いのだとも思った(ただし、こうした團の交響曲を聴くには体調が万全でないといけない。さもなくば、音楽の力に押しつぶされてしまうからだ)。

ところで、團は日本最初の「交響曲作家」たる諸井三郎(1903-77)にも学んでいるのだが、同門の矢代秋雄の場合とは異なり、あまり影響は感じられない。それはもしかしたら團が「声楽」指向・思考あるのに対し、諸井が「器楽」指向・思考であるからかもしれない。その諸井の交響曲全5曲のうち、録音があるのは3曲のみ(世評(?)とは異なり、第4番が一番よいと私は思っている)。全曲録音の登場が待ち望まれる。