恐ろしく耳のよい作曲家(たとえば、ショスタコーヴィチ――ロジェストヴェンスキー本にはそのことを証す驚嘆すべきエピソードがいくつかあげられている――やブゥレーズのような人)が書いた作品の中には普通の人には聞き取れない音が少なからずある。すると、作曲者本人が聞き取っている作品の姿と普通の人のそれとは自ずと違ってこざるをえない。だとすれば、名目上は「同じ」作品ではあっても、実質的に両者にとってそれは「異なる」作品だとも考えられる。
付言しておけば、作曲者が聞こえるものが作品の「正しい」姿で、それを普通の人が聴き逃しているのだということではない。どちらも正しいのである(「正しい」という言い方はあまりよくないが……)。