物事の良し悪しと好き嫌いは別次元の事柄である。たとえば、ある作品なり演奏なりが優れたものであったとしても、それを嫌う人がいてもおかしくはない。もちろん。その逆の組み合わせもあろう。
今朝、FMのある番組で英国の名歌手キャスリーン・フェリアー(1912-53)が取り上げられていた。伝説の歌手なので名前は当然知っていたが、私はこれまでこの人の録音を聴いたことがなく、興味を持って番組に耳を傾けた。なるほど、確かにすばらしい歌手だということはすぐにわかる。が、その声質があまり好きなものではなかったのだ。残念。
歌手に話を限れば、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)なども私にとっては同類に部類に属する。何度聴いてもその声質が好きになれないのだ。とはいえ、彼の音楽づくりは「立派」なので、ごく稀にだが聴くことがあり、何かしら学ぶところがある。
それゆえ、フェリアーについてもまた別の機会に聴くことがあるだろう。また、もしかしたら、その声質も好きになれるときがくるかもしれない。
その番組の1つ前は「現代の音楽の時間」。「第34回芥川也寸志サントリー作曲賞選考演奏会」が取り上げられていたが、こちらは全く私の心の琴線に触れなかった。残念。まあ、これもあくまでも私個人の好みの問題にすぎない。ともあれ、いつか心から感動できる「現代の音楽」作品との出会いがありますように。
それにしても、この作曲賞は間口が狭すぎるのではないか? いわゆる「現代音楽(=前衛音楽)」のみを対象にするのではなく(そもそも、賞の名にある芥川也寸志は必ずしも前衛的な作風ではなかった)、もっと幅広くさまざまな作風を受け入れる方が「現代の音楽」創造に貢献しうるものとなるだろうに。