2024年10月13日日曜日

今日も

  今日も團伊玖磨の交響曲を聴いたが、昨日とほぼ変わらぬことを第5番と第6番でも感じる。面白いといえば面白いのだが、音楽の「濃さ」に些か疲れを覚えもした。まあ、一度に何曲も聴いたのがいけないのかもしれない。1曲ずつ、それなりに間を空けて、しかもこちらの体調もきちんと整えて臨まないと團の交響曲には太刀打ちできない。

さて、その「疲れ」をとるべく(?)、日本の他の作曲家が書いた交響曲を聴いた。それは池辺晋一郎(1943-)の第1番(1967)だ。作曲者の初期の作品だ(メシアンの影響がかなり強いい)が、構成が巧みで、音楽の山場は効果的なところに置かれている(逆に言えば、よけいなエネルギーの消費がない)。それゆえ、聴いていて概ねリラックスできるわけで、当初の目的は無事に達成されたと言えよう。

 ところで、交響曲という曲種はある時期までの日本の作曲家にとってはやはり特別の重みを持つものだったろう。その歴史を本場西洋との「ズレ」(というのも、日本で交響曲の創作が軌道に乗った頃には本場ではもはやこの曲種は下火となっていたからだ)をも視野に入れつつ論じたら面白いものになるはずだ。誰か若い人が挑戦してくれないかなあ。