昔々、シューマンの《フモレスケ》作品20(1839)をはじめて聴いたとき、「何と奇妙奇天烈な曲だろう」と思った。そして、その思いは長らく続く。が、あるとき、「なるほど、そういうことか!」と(自分なりに)得心する瞬間が訪れた。この曲に明快な論理性や整合性を求めてもいけないし、さりとて支離滅裂だと思ってもいけない。その間で繰り広げられる戯れが面白いと気づいたのである。以来、大好きな曲となり、現在に到る。
私にとってシューマンの作品にはまだこうした「謎」を持つものがいろいろある。《ノヴェレッテ集》作品21(1839)もその1つだ。どうにもよくわからなかったのである。とはいえ、最近、少しはわかるような気がしてきた。つまり、この曲集も《フモレスケ》と同じ類のものなのだと。それにもかかわらず、《クライスレリアーナ》作品16(1838)(同じ8曲セットであり、限られた調性にしぼって書かれている点も同じ作品)とつい比べてしまうのがいけなかったのである。両者の性格は大きく異なるのだから。
たぶん、《ノヴェレッテ集》のことをとっつきにくい作品だと感じているのは私だけではなかろう。演奏会や録音では《クライスレリアーナ》の方が断然人気が高く、《ノヴェレッテ集》全8曲が取り上げられることは極めて少ないからだ。が、そんな作品であればこそ、ピアニストにとっては人と「違い」を見せる上で格好の演目だと言えよう。近場で実演が聴けるのならば、喜んで出かけたい。
昨日は衆院選の期日前投票に行ってきた。 今回は投票率が上がりますように。