八村義夫の作品には一見(一聴)「私小説」のような趣が感じられる。その剣呑な響きが破滅型で短命だったのこの作曲家の生き方にどこか重なって見える(聞こえる)からだろうか。
だが、八村が作品で描き出そうとしたのは己自身のことなどではなく、己が理想とするヴィジョンであったろう。音楽の響きだけではなく、まさにこの点でも彼はスクリャービンの影響を強く受けているのだと言えよう。
私が八村やスクリャービンを好んで聴くのは、その「ヴィジョン」に共感するからというよりも、むしろそれが自分には手の届かない別世界のものに感じられるからかもしれない。