名作曲家の作品を聴けば、すぐに「ああ、いかにもこの人の音楽だな」ということがわかる「印」がある。今朝もラジオをつけると耳に飛び込んできた音楽に対して、「もしかして、これはシベリウスでは?」とすぐ(1、2秒ほどの間)に思ったが、果たしてそうだった(ちなみに、最後まで聴いてわかったことだが、その作品は第3交響曲だった。私はシベリウスが大好きなのだが、7つの交響曲のうちもっともなじみが薄く、全く頭に入っていなかったのがこの第3だ)。つまり、その瞬時の音にシベリウスならではの何かが刻印されていたことになる。そして、耳はそれをとらえることができたわけだ(これはある程度その作曲家の作風に馴染んでいる人ならば普通にあることだろう)
さて、その「聴けばすぐにわかる」ことを言葉で説明しようとすると、これがなかなかにたいへんだ。先の例でいえば、1、2秒ほどの音楽から「シベリウスらしさ」を説明しようとしても無理だろう。そうした説明のためには、もっと長い部分を取り出し、しかも、他の作品をも引き合いに出さないわけにはいくまい。そして、そうしていくら多言を費やしたとしても、耳で聴き取った「(特定の)作曲家らしさ」をうまく説明できるとは限らないのだ。
というわけで、音楽という(表現)媒体の「不思議さ」に改めて目(耳)が開かれる思いがした次第。