2025年3月20日木曜日

耳で(も)味わえる文章

  私は放送劇は好きだが、朗読番組はほとんど聴かない。が、先日、音楽番組を聴いたのちもそのままラジオを消さずにいると、そのうち何かの朗読が聞こえてきた。はじめのうちは聞くとはなしに聞いていたのだが、次第に耳が惹きつけられていく。結局、最後まで聴いてしまったのだが、それは須賀敦子(1929-98)の『ミラノ 霧の風景』の一節で、「朗読の世界」という番組でのことだった。須賀の著書は以前から読みたいと思っていたのだが、ずっと「積ん読」のままだったので、これをきっかけに今度こそ読もうと思う。

そう思えたのは、もちろん、文章の内容に惹かれたからだが、決してそれだけではない。音として聞こえてきた文の「調子」にも魅せられたからでもある。いや、むしろ、こちらの方が理由としては大きいかもしれない(それには朗読者が巧みだったということと、その声の響きの好ましさも少なからず与っているが)。つまりは須賀のこのエッセイは「耳で(も)味わえる」文章だったわけだ。そして、それは(こう言うと笑われるかもしれないが)私にとっての理想である。そして、いつかそれを実践するようなものを書いてみたいものだ。