裏庭から鶯の声が聞こえてくるようになった。のみならず、他にもいろいろな鳥が賑やかにさえずっている。中にはまるで嘲り笑いのように鳴く鳥も。そして、風が吹けば木々のざわめきが起こり、耳をくすぐる。とにかく、まことに好ましい音風景が現出している。
それは人の手になる「つくりもの」ではないので、「それがどうできているか」などは当然気にならず、その都度自分の注意を惹く音に耳を傾け、味わい、楽しむことができる。これが「音楽作品」だとそうはいかない。音楽の「何が」「どのように」なっているかを確認しつつ聴く習慣が身についているからだ。もちろん、これはこれで有意義なことではあるが、そればかりでは疲れてしまう(これは何も音楽だけに限ったことではない。人の話を聞くことについても同じことが言えよう)。それゆえ、そうした縛りから心身を解放してくれる自然の音風景の存在はまことにありがたいものだと感じる次第。