2020年5月28日木曜日

ブゥレーズの第2ソナタはそれほどの名曲だろうか?

 ピエール・ブゥレーズ(1925-2016)の《ピアノ・ソナタ第2番》(1948)の楽譜冒頭には演奏上の注意点がいくつか記されている。そして、その1つに「すべての対位法声部は等しく重要である。そこには主声部もなければ副声部もない」というものがある。まあ、1つの理念としてこれはわからないではない。が、実際の演奏にとって、これはかなりの無理難題だとも言える。なぜか。管弦楽や音色の異なる楽器のアンサンブルならばともかく、1台のピアノで複数の声部を均等に聴かせるにはブゥレーズのこのソナタはテクスチュアとリズムの両面であまりに込み入りすぎているからだ。また、調性音楽ならばかなり複雑な作品でも「不協和音程の解決」によって対位法の進展を耳で追うことができるが、無調の複雑な作品ではそれはかなり難しい。
 結局、このブゥレーズのソナタは大方の聴き手には「精緻なポリフォニー」の曲としてではなく、「ポリフォニーっぽい複雑なテクスチュアを持つカコフォニー」として聞こえるだろう。第1楽章などでは主題らしき音型・音形がさまざまな姿かたちを変えつつ浮かんでは消え、(下敷きにソナタ形式があるとはいえ)音楽が流動的に進んでゆき、まあ、刺激的といえば刺激的、美しいといえば美しい音楽ではある。
 私個人とてしてはこのソナタをそれほどの名曲だとは思わない(嫌いではないし、それなりに興味深い作品ではあるが、同じブゥレーズのピアノ・ソナタならば第1番の方が私には格段に好ましい)。また、演奏者に過大な要求を突きつける割には見返りが少ないようにも思われる。
にもかかわらず、今や少なからぬピアニストがこのソナタに取り組んでいるようだ(「評価が定まった作品」だからだろうか?)。が、20世紀後半に書かれた作品には他にもあまり知られていない「名曲」はいくらでもあるのだから、そうしたものにもぜひとも挑戦して欲しい。
(付言しておけば、私は何もブゥレーズのこのソナタを名曲だと考える人を否定したいわけではない。誰が何と言おうと自分にとってある作品が名曲ならば、それはすばらしいことだと思う。ここではあくまでも私個人の感じ方を述べたにすぎない。それに賛成する人もいれば、反対する人も当然いよう。ともあれ、もっともつまらないのは世間の評価をそのまま鵜呑みにすることである。もちろん、そうした評価が参考になることはそれなりにはあろう。が、最終的に決断するのは個人であって、そうした個人のコミュニケーションの中からまた別の評価なりものの見方なりが絶えずかたちづくられていくことが面白いのだと私は思う)