2020年5月2日土曜日

同じケージでも

 いよいよ私にとって受難の季節、すなわち「暑い」日々がやってきた。寒いのは全く平気だが、暑いのは本当に苦手なので、1年のうち半分近くは我慢の日々を送っている。
 今、ヴィーン古典派について書かれた本の翻訳の校正をしているわけだが、そうした音楽はまさにこれからの時期には鬱陶しくなる。なので、作業をしながら聴くのは涼しげな音楽だ。今日はジョン・ケージの《ソナタと間奏曲》を。このプリペアード・ピアノのための曲集はまことに音が涼しげで押しつけがましいところが一切ない。なので、「ながら」にもぴったり。
 ところが、外から余所のピアノの音(昔懐かしのバイエルなど)が聞こえてくる。暑いので自宅の窓を全開にしているからだ。まあ、ピアノの音自体は別によい(むしろ、うれしくなる)のだが、これがケージの繊細極まりない音楽と重なるとさすがに辛い。そこで、ケージの方を中断した。
 が、ふと思い立って実験を。同じケージの偶然性の技法を用いた曲を敢えて聴いてみることにしたのである。そこで《ピアノ音楽 1-84》のCDを取り出してきて、さっそく先ほどから聴き始めた。すると、驚くなかれ、外のピアノが全く邪魔にならない。のみならず、その音は完全にたんなる「物音」と化してしまった。ぽつぽつと鳴るケージの音楽と同様に。しばらく聴いていると、そのうち外のピアノも止んだ。残ったのはケージの音楽の静かな音と外から聞こえてくれる木々のざわめきや種々のちょっとした物音。平穏無事とはまさにこのことである(もちろん、実際には今、世の中は少しも平穏無事ではない。が、だからこそ、そんな気分にわずかでもひたれる時間は貴重だ)。

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