最近も『組曲《キージェ中尉》作品60』(解説・千葉潤)を購ったところだが、改めてこの素晴らしい作品に深い感銘を受けている。元々、映画の付随音楽として書かれたものに基づく作品だけに、第5曲「キージェの葬送」のいかにも映画のモンタージュ技法を思わせるくだりは映像との結びつきに由来するものだとずっと思っていたが、同書の解説によるとそうではないとのこと(もっとも、それはそれとして、他の映画で実践されていたこの技法にプロコフィエフが何かしら想を得たということはあったのかもしれない)。ともあれ、そのくだり以外にも随所に面白い仕掛けがあり(たとえば、第3曲「キージェの結婚」ではしばしば1つの旋律の中で部分的な転調がなされるが、それはあたかも録音の再生速度をつかの間上げ下げしているように聞こえる)、作曲者の機知と見事な構成力には唸らされる。とともに、未だにそうした音楽がモダニズムの輝きを失っていないことに驚かされる。いかにも新奇なだけの技法はあっという間に古びてしまうが、プロコフィエフの音楽はそのようなものではない。というわけで、私はこれからも彼の音楽に魅せられ続けることだろう。