2020年5月17日日曜日

《キージェ中尉》

 近年、全音楽譜出版社がプロコフィエフの楽譜を新たに次々と出してくれるのでうれしい。以前は旧ソ連版のリプリントが主だったが、今やBoosey & Hawkes社から出ていた作品にまで範囲が広げられている。同社のスコアは近年「ふざけるな!」と言いたくなるほど高価なのだが、まだ版権が切れていない作品ならともかく、プロコフィエフについては日本ではもはやそうではないので、わざわざ高い買い物をするのはバカらしい。そこへ従来の版のミスも訂正した新たな版が比較的安価で登場したのだから、これはもう本当にありがたい。しかも、その楽譜に添えられた解説が研究者の手になる充実したものであり、この点でも全音には大いに感謝したい(とともに、さらなる続刊を期待したい)。
 最近も『組曲《キージェ中尉》作品60』(解説・千葉潤)を購ったところだが、改めてこの素晴らしい作品に深い感銘を受けている。元々、映画の付随音楽として書かれたものに基づく作品だけに、第5曲「キージェの葬送」のいかにも映画のモンタージュ技法を思わせるくだりは映像との結びつきに由来するものだとずっと思っていたが、同書の解説によるとそうではないとのこと(もっとも、それはそれとして、他の映画で実践されていたこの技法にプロコフィエフが何かしら想を得たということはあったのかもしれない)。ともあれ、そのくだり以外にも随所に面白い仕掛けがあり(たとえば、第3曲「キージェの結婚」ではしばしば1つの旋律の中で部分的な転調がなされるが、それはあたかも録音の再生速度をつかの間上げ下げしているように聞こえる)、作曲者の機知と見事な構成力には唸らされる。とともに、未だにそうした音楽がモダニズムの輝きを失っていないことに驚かされる。いかにも新奇なだけの技法はあっという間に古びてしまうが、プロコフィエフの音楽はそのようなものではない。というわけで、私はこれからも彼の音楽に魅せられ続けることだろう。