だが、今はそうした見方に違和感を覚える。「なぜ、日本人、つまり、西洋音楽を『外』から取り入れたという点では同じ者に、そんなどこか『上から目線』のような物言いができるのか?」と思わずにはいられないのだ。
日本が西洋音楽を取り入れてかなりの時が経ち、今やそれはたんなる借り物ではなく、日本の文化の一部と化している。が、その際に何かしら「日本化」されてしまった部分もあるはずだ(このとこはすでにこれまでに何人かが指摘している)。私たちは日本語の環境と(少なくともどこか西洋人とは違うところがあるという意味で)日本人的な思考様式の中で暮らしているのだから。
私は何もそうした「日本化」が悪いとか間違っていると言いたいのではない。が、本家本元の音楽のありようとは何かが違っているのは確かであり、それを冷静に見つめることから日本(のみならず、本家も含む世界各国)の西洋音楽にとって何か生産的な議論ができるのではないか、と考えている。