2020年5月21日木曜日

未完の草稿

 今日は思い出話を。私が現代音楽を聴き始めたきっかけは武満徹の《カトレーン》だった(この件については拙著『黄昏の調べ』の「おわりに」で触れている)。それゆえ、まずは彼の作品をあれこれ聴こうとしたのだが、いかんせん、現在と違って音源はさほど多くはなく、インターネットがあるわけでもなく、ごく限られた作品にしか触れることができなかった。それでも、その数少ない作品は当時(1980年代初頭)の私にとってはまさに宝石の輝きを持つものだった。
 そのうち、聴いているだけでは満足できなくなり、「よし、自分でも似たようなものをつくってみよう!」と思い立った(確か、高校1年生とのときだった)。お手本は《弦楽のためのレクイエム》である。が、当時地方在住者には輸入楽譜の入手はなかなか面倒だったので、耳だけを頼りにすることにした。編成を同じ弦楽合奏とし、とにかく書き始めたのである(曲名は《弦楽のためのバラード》だったと記憶している)。出だしはいかにもそれらしい感じのものができ、その後も響きを1つひとつ弾いて確かめながら少しずつ書いていった。……が、曲が進むと、何ともおかしなことにトーン・クラスターが登場することに。なぜ、そうなったのだろう? 「何か違ったことをしなければ!」とそのときは思っていたのだろうか。が、こうなってしまうともう収拾がつかない。結局、途中で頓挫してしまった(恥)。
 その後、こうした「頓挫した作品」が高校生時代には他にもいくつか生まれることとなった。当時の私は「ああでもない、こうでもない」と楽譜を書いては放り出すことを繰り返していたのである。そうしてそれなりの量の「反古」が生まれたが、それはもはや現存しない。かつてはそれらを1つの大きな袋に入れて保存していたのだが、あるとき(確か、自分が20代の始め頃だったと思うが……)母がゴミとして勝手に捨ててしまったのである! 当時はかなり腹が立ったが、まあ、到底人様に見せられるようなものではなかったので、結局はそれでよかったわけだ。