選ばれているのは次のものだった:
Disc8:日本
● 細川俊夫:蓮の花
● 武満 徹:風の馬
● 間宮芳生:合唱のためのコンポジション第1番
● 武満 徹:うた IIより『さくら』/『翼』
● 近藤 譲:薔薇の下のモテット
● 武満 徹:うた Iより『小さな空』
● 細川俊夫:蓮の花
● 武満 徹:風の馬
● 間宮芳生:合唱のためのコンポジション第1番
● 武満 徹:うた IIより『さくら』/『翼』
● 近藤 譲:薔薇の下のモテット
● 武満 徹:うた Iより『小さな空』
これはなかなかに巧みな選曲である。欧米でも高名な細川、武満、近藤の手になる作品で固めつつ、「日本」らしさを間宮作品でさらに強めているのだから。そして、ここに彼らの「オリエンタリズム」の1つのありようがうかがわれる点でも実に面白い。
たとえば、こうした「向こう」の人たちが選んだアルバムに信長高富(1971-)、すなわち、現在、日本でもっとも人気と実力のある合唱曲作家の1人の作品が入ることはまずあるまい。作品の出来不出来のゆえではない(私が知る限りでの信長作品はどれも見事かつ魅力的である)。「彼ら」が抱く「日本」イメージに合致しないからだろう。あるいは、「所詮、器用なモノマネにしかすぎず、取るに足りない」と「彼ら」は考えている(それ以前に、そもそも視野に入っていない)のかもしれない。
日本における「西洋」音楽の現実と、「向こう」の人たちが「日本」に見て取っている(あるいは「見たい」)音楽の現実のこうした「ズレ」や「溝」は他のところにもいろいろと見つかるだろう。もちろん、これが「向こう」と「こちら」のどちらが「よい/悪い」とか「正しい/間違っている」とかいった問題ではない。この「ズレ」自体が1つの「現実」なのであって、私はそこに面白さと興味を覚える。