2020年5月18日月曜日

「解釈(実用)版」の意義

 園田高弘(1928-2004)は自身が編集したバッハやベートーヴェンの楽譜の序文で「原典版」を妄信することの愚を説くとともに、楽譜本文で必要最小限の「読み」を示している。なるほど、そうした「読み」が種々の原典版を用いる上では欠かせないことは確かであり、その意味で、園田が言うように、種々の「解釈(実用)版」はいろいろと参考になる。
 たとえば、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの原典版を見ていると、ある音型の繰り返しや発展形などに対して、作曲者がスタッカートやスラーなどの記号をきちんと記していない箇所が散見される。「そんなことは見ればわかる!」ということで省略したのだろうか。ともあれ、実際の演奏に際してはそうした「省略」を適宜復元・修正することが必要となるわけだが、中にはその判断に全く困らない箇所もあれば、逆に「何をどの程度まで」行えばよいのか解釈が分かれる箇所もある。そんなとき、「解釈版」はヒントを与えてくれるものとしてまことに便利だ。もちろん、その利用に際しては内容を鵜呑みにするのではなく、利用者が自分なりに批判・吟味することは欠かせまい。
 ところで、昨年亡くなったパウル・バドゥラ=スコダ(1927-2019)が編集した何曲かのハイドンではHIPの知見を踏まえてかなり細かく演奏法が書き込まれている。19世紀までの作品に対してはこうした楽譜がもっとどんどん出されてしかるべきだろう。そして、これならば日本の楽譜出版社にも十分参入の余地があるのではないだろうか。