2020年5月10日日曜日

ちょっとした部分が

 たまには今年生誕250年を迎えた巨匠への讃辞を。
 ベートーヴェンの名作、ヴァイオリン協奏曲の第1楽章の冒頭主題は(固定ドで書けば)「ラーシーラソーファ#、ミーレード#ーレーミー」というふうに始まる。これは管弦楽によるものだが、独奏ヴァイオリンでも(装飾音を除けば)同じである。ここで注目して欲しいのは最初の「ラソーファ」という動きだ。その中の「ラ」は「シ・ラ・ソ」という動きの中で経過音とも倚音ともとれるもので、アクセントは次の「ソー」のところにある。
 この主題が再現部にffで奏でられるときには「ラ」が削られて「ラーシーソーーファ#」というかたちになる。昔々、この曲を知って日が浅かった頃には、私はこの変更が腑に落ちなかった。「なぜ同じかたちにしなかったのだろう?」と。強音で奏でられるだけに、嫌でもその違いは目につく(耳にとまる)わけだが、その意味がわかったような気がしたのは随分後のことだった。
 それはたぶん、こういうことである。すなわち、展開部で高められた緊張を展開部冒頭で解決するために主調による主題をffで奏でる必要があったわけだが、その際、主題を元のかたちのままにしておくと、「ラ」のところで勢いがしばし削がれるがために、この音を削る必要があったのだろう(ためしに大声で「ラーシーラソーファ#」と「ラーシーソーーファ#」を歌い比べてみられたい)。
 ベートーヴェンの音楽にはこのような「ちょっとした部分」や表面的なテクスチュアが実に巧みな効果をあげているものがいろいろある。こうしたものを普通の形式分析や構造分析は見落としがちだが、聴き手の耳はしかととらえているはずだ。それゆえ、ベートーヴェンの音楽が「どう聞こえ、それがどんな効果をもたらしているのか」という観点からの分析があってもよかろう。きっといろいろと面白いことが見えてくるのではなかろうか(そうした分析はすでにあるのかもしれないが。もし、そうならば読んでみたい)。