今日の気分はラヴェルである。とりわけ室内楽。そこでCDを取り出して聴いてみた。それは何とも涼しげな音楽で、嫌な暑さも湿気も幾分和らいだ気がする。
もちろん、ここで「涼しげ」だと感じるのは私の主観である。同じ音楽に「熱気」を感じる人もいるかもしれない。が、おそらく、ラヴェルの室内楽曲に「涼しさ」を感じる人はそれなりにいるのではないだろうか。
こうしたことは別にこの場合に限ったことではなく、ある音楽に対して何かしら似たような感じを人々が持つということは他にもいろいろあろう。音楽自体が物理的に冷気や熱気を発するわけでもないのに、そうしたものがそこに感じ取られるとすれば、それには何かしら理由――ある種の音の響きや動き、何らかの状態と変化など――があるはずだ。では、それは、もちろん一義的に定まるようなものではないだろうし、聴き手が持つ(音楽)文化的背景によってもいろいろと変わってくるだろうが、果たしてどのようなものなのだろうか?
その後も武満の作品をあれこれ聴いている。何とか80年代以降の作品に馴染もうと試みているのだが、これがどうもうまくいかない。どころか、ますますそれ以前の作品の方がよく思えてくる。とともに、胸の中の「もやもや」が増すばかり。私には武満がどこかで「道を誤った」ように感じられてならない。いずれそのことを何かのかたちできちんと論じてみたいと思う。ただし、あくまでも武満徹という作曲家を肯定的にとらえるためにである。