何か1つのことを徹底して追求するのも良し悪しだ。その方向が間違っていなければ実り豊かな成果をもたらすかもしれないが、もし変な方向へ物事を掘り下げていったならば目も当てられない結果を招くことになるからだ。どこか新しい出口を目指していたつもりが結果としてもぐらの穴掘りのようなことになってしまったり、出口が見つからずに絶望の淵に身を沈めることになってしまったり……。
今年没後50年を迎えたドイツの作曲家B. A. ツィマーマン(1918-70)などは、まさに己の道の徹底した追求の結果、絶望に至った例だろう(彼は自ら命を絶った)。最後の年に書かれた《静寂と反転》と《私は振り返り、日の下で起きたすべての不正を見た》などは作品としてはまことに素晴らしいと思うが、同時に「その先」があるようには私には見えない。こう感じてしまうのは作曲者の悲劇的な最期を知っていることが影響しているのかもしれないが、それだけではないと思う。やはり、音楽自体が「出口なし」感を強く漂わせているのだ(繰り返すが、いずれも傑作である)。
もし、ツィマーマンがここまで自分の理想や自分自身に対して厳しくなければ、彼はその後も生きていて、また違った創作のありようを示したかもしれない。が、これは意味のない仮定だ。彼がそのような人だったならば、数々の傑作を生み出し得なかっただろうから。とはいえ、それでも……。