2020年7月4日土曜日

「未完成」の権利

 ある作品が「未完成」で残されるのには2つの場合がある。1つは完成させる意志を作曲者が持ちながらも仕上げられずに亡くなってしまった場合であり(たとえば、マーラーの第10交響曲)、もう1つは作曲者が途中で放棄した場合である(たとえば、シューベルトのいくつかのピアノ・ソナタ)。
 そうした未完成作品が第三者の手によって補筆されて「完成」させられることは珍しくない。が、前者の場合はともかく、後者の場合についてはどうなのだろう? 作曲家が当該作品を「放棄」するにはそれなりの理由があったはずであり、それはやはり作曲家の当該作品への「権利」として尊重した方がよいと私は思うが、どうだろうか? 
 ただ、そうした未完成(=放棄)作品を「素材」にして新たな作品をつくるのならば話は別である。たとえば、シュニトケがマーラーのピアノ四重奏曲の第2楽章の断片から《交響曲 5番(合奏協奏曲 4番)》の第2楽章をつくりあげたように。