そうした未完成作品が第三者の手によって補筆されて「完成」させられることは珍しくない。が、前者の場合はともかく、後者の場合についてはどうなのだろう? 作曲家が当該作品を「放棄」するにはそれなりの理由があったはずであり、それはやはり作曲家の当該作品への「権利」として尊重した方がよいと私は思うが、どうだろうか?
ただ、そうした未完成(=放棄)作品を「素材」にして新たな作品をつくるのならば話は別である。たとえば、シュニトケがマーラーのピアノ四重奏曲の第2楽章の断片から《交響曲 第5番(合奏協奏曲 第4番)》の第2楽章をつくりあげたように。