2020年7月23日木曜日

自筆楽譜のレイアウト尊重

 良くも悪くも面白いのが、昨今の「原典版」にしばしば見られる「自筆楽譜のレイアウト尊重」の姿勢だ。

たとえば、ショパンの場合、ポーランドの「ナショナル・エディション」にせよ、その好敵手たるロンドンのピーターズの「新批判版」にせよ、ショパンの筆致を極力再現しようとしている。その中には(主に、どちらか一方の段に記した方が見やすいにもかかわらず上・下の段にまたがって1つの動きが記譜されているために)「読みにくい」箇所が散見されるのだが、こうしたものは「作曲家の意図」として正確に再現するべきものなのかどうか……。

なるほど、中にはしかるべき理由で作曲者がそう記譜したものもあろう。が、たとえば、「雨だれ」前奏曲の冒頭主題が最初に示されるときと、繰り返されるときで音は同じなのに内声部の記譜が不揃いなのを見ると、すべてがすべて作曲者の記譜に「理」があるとは考えられなくなる。

 まあ、「原典版」をつくる側からすれば、「正確な資料は提供するから、その処理の仕方は自分で考えてください」ということなのであろう。が、普通の楽譜ユーザーにとってはこうした(他の面でも)厳格な編集方針は些か不親切だとも言えよう。そして、この点で昔とは異なる(HIPの情報と実施例を盛り込んだ)「実用版」があれこれつくられてしかるべきだ。