2020年7月18日土曜日

一方は徹頭徹尾「ピアノのために」、もう一方は……

 ドビュッシーのピアノ曲は徹頭徹尾「ピアノのために」書かれたものであり、この楽器の可能性を極限まで使い尽くしたものである。そのため、それを管弦楽用に編曲する試みは(数多ある例が示しているように)無残な失敗に終わる。

 他方、ラヴェルのピアノ曲は確かに効果的に書かれており、十分にピアニスティックなのだが、どこかこの楽器に収まりきらないところがある。それゆえ、(ラヴェル本人の手になるように)うまく編曲すれば管弦楽でも抜群の効果を発揮する。なるほど、《夜のギャスパール》のような曲などでは管弦楽化は(マリウス・コンスタンの編曲からもわかるように)難しいが、ピアニストには管弦楽的発想がやはり必要だろう。

 この季節になるとなぜか、フォレのピアノ五重奏曲第2番が聴きたくなる。この曲で私にイメージとして浮かぶのは「夏の海」だ。何種類かの録音を聴いてはいるが、結局、ジャン・ユボーとヴヴィア・ノヴァ四重奏団のものが私にはもっともしっくりくる。