今日は大学の出講日だったので出かけてきた。非常勤講師をしている2つの大学のうち、今日授業のあった大学は早々に対面授業再開に踏み切っているが、もう1つの方は前期のうちは遠隔授業で通すことになっている。後期にはこちらも授業が再開されるほどにコロナが少しは収まっているとよいのだが、まだまだ予断は許されないところだ。
さて、今日の大学でのことである。「平時」ならば授業の前に図書館の書庫に潜り込んであれこれ物色するのが楽しみなのだが、今はコロナの影響でその書庫には入れない。代わりに、予め借り出したい本や楽譜の資料番号を調べておいて申告すると、それを図書館の方が取り出してきてくれるという方式になっている。そこで今日は最近興味が再燃した武満徹の楽譜をいくつか借りようと思い、図書館カウンターでお願いした。
すると、ほどなくその楽譜を出してきてくれたのだが、そのうち2点(《秋》と《冬》)がまことに大きなスコアだったのである。これには困った。というのも、今日はあいにく天気が悪く、それらのスコアを雨から守る手段がなかったからである。そこで今回は泣く泣く借りるのを諦め、晴天の日に仕切り直しということになった。いや、残念。
武満のSalabert社時代(つまり、私にとっての「名作」が少なくない頃)の管弦楽スコアにはこうした「大きな」ものが少なくない(そのことをすっかり失念していたために、今日の悲(喜)劇が生じたわけだが……)。たとえば、私が1つだけ持っている名作〈テクスチュアズ〉(1964)は縦60cmほどで、中の五線は59段(なんだか中途半端な段数だ……)もあった(『武満徹・音楽創造への旅』では本人が「100段」云々と語っているが、これは「白髪三千丈」の類の物言いである)。
少年時代、そうしたスコアを武満が手にしている写真を何かで見て、ただただ畏れ入ったものだが、さすがに今はもっと冷静(かつ、いくらか批判的)にそうしたスコアを見ることができる。ともあれ、今日借りられなかった《秋》と《冬》、そしてその他いくつか図書館に収められている武満の「大きな」スコアを読める日が来るのを楽しみにしている。