2023年10月12日木曜日

《ナゼルの夜会》の標題の訳しにくさ

  プーランクの佳品、《ナゼルの夜会》はなかかなにとらえどころのない曲集であるが、そこが魅力的でもある。全11曲中、「変奏」と銘打たれた8曲に意味深な標題が付けられている。それだけにうまく訳するのが難しい。

 たとえば、変奏1Le comble de la distinction〉は「分別の極み」と訳されることがあるが、distinctionには気品、洗練、優雅という意味もあり(こちらの方だと解して、「やんごとなさ」という訳語をあてる場合もあるようだが、これはちょっとやりすぎかもしれない)、こちらでも意味は十分に通る。だが、「分別」と訳す場合とでは作品解釈はおよそ異なったものにならざるをえない(私は「分別」はたぶん誤訳だと思うが、そう言い切るだけの自信はない)。

 また、変奏4La suite dans les idées〉は「思索の続き」と訳されることもあるが、これは誤訳であろう。なるほど、suiteには「続き」という意味はあるが、もし、「~の続き」という意味になるのならば、前置詞はdansではなくde(それゆえ、ここでは定冠詞lesと融合してdes)になるのではないか? となると、このsuiteは「一貫性」の意味だと解する方が適切であろう(CollinsLe Robert French Dictionaryを見ると、suiteの訳語の1つとしてcoherenceをあげており、次のような例文があげられている:il y a beaucoup de suite dans son raisonnement.)。それゆえ、曲名を「一途」と訳す人もいるようだが、これはわかる(が、「一貫性」と「一途」とでは些かニュアンスが違っているような気もする)。

 変奏8L'alerte vieillesse〉は「老いの警報」と訳されることがあるが、これもどうだろう? その場合、alerteを名詞と取っているわけだが(同じ綴りの形容詞の場合には「[年の割には]機敏な、すばしっこい」とか「生き生きした」という意味)と名詞の両方があるが、意味は全く異なる)、そうなると、vieillesseという名詞はどうすればよいのか? その点、「年をとっても明るく元気」という少し盛りすぎだが、まあ、訳語としては理解できる。

 かく言う私もフランス語の微妙なニュアンスがわかるわけではない。それゆえ、この《ナゼル》の標題については音楽に詳しいフランス文学専攻者がきちんと訳し直してくれれば、この曲集を取り上げるピアニストにとっても、聴き手にとってもありがたい。